海外視察報告 『大韓民国 仁川広域市およびソウル特別市』
訪問日時: 平成21年9月27日(日)〜29日(火)
招聘都市: 大韓民国 仁川広域市
訪問目的:
       仁川広域市市長並びに市会議長表敬
       「2009仁川世界都市祝典」及び松島(ソンド)経済自由区域の視察
       横浜市と仁川市とのパートナーシップ都市提携に係る意見交換
       仁川市およびソウル市における歴史地区、環境都市整備の調査 など

訪問日程:
      9月27日 (日)
      午前 / 羽田発 JL8831
      午後 / 仁川世界都市祝典を視察
      9月28日 (月)
      午前 / 安相洙 市長表敬(ソンド・ミチュホールVIP応接室)
          仁川市国際顧問の委嘱式(仁川市より私への委嘱状伝達=上記会場)
          高振燮市議会議長表敬(仁川広域市議会応接室)
          朴勝喜氏ら5人の市会議員らと意見交換
      午後 / 経済自由区域『ソンド(松島)地区』を視察
          仁川市中区庁舎、周辺の歴史的建築物ならびに中華街視察
          安相洙 市長主催晩餐会
      9月29日 (火)
      午前 / ソウル特別市 『清渓川』整備を視察
      午後 / ソウル市内視察 金浦発 JL8834

訪韓に至る経緯:
 横浜市は本年、開港150周年を迎え、153日間にわたって都心臨海部を中心に開催された『開国博Y150』を初めとして、さまざまな関連イベントが全市的に展開された。開港150周年式典には、安政条約締結の相手国である5つの国の在京大使や、開港したわが国の5つの都市(港)の首長・関係者らが来浜したほか、横浜市と友好関係を結んでいる姉妹友好都市・友好港・パートナーシップ提携都市等からもたくさんの来賓をお迎えした。
 大韓民国からは、パートナーシップ都市提携を結んでいる釜山広域市の市長らが見えたほか、仁川広域市(横浜市が議長都市であるCITY−NETの会員都市)からも、洪鐘逸副市長一行が式典に参加された。その際に、仁川広域市側から私に『2009仁川世界都市祝典』へのお招きと、開催期間中に行われる「アジア太平洋都市市長サミット」への市幹部の出席、並びに日韓友好横浜市会議員連盟の代表による訪韓の招請が行われた。
 併せて近年、仁川広域市側から、横浜市との都市提携の働きかけが頻繁に行われており、その打診と両都市間の調整について、仁川市当局から私に強い要請が寄せられてきた。横浜市は平成18年度から新たな国際交流事業として、「パートナーシップ都市提携事業」を施策化し、これまでにアジアの5都市と結んでいる。昨年来からの関係者の努力により、仁川市とも本年中に同協定を締結する運びとなったことは、大変に喜ばしい。今回の訪問は、その協定の内容や締結方法等について、議会代表と仁川市側との下打ち合わせを行うという意義も含まれていた。
 私は日韓友好横浜市会議員連盟の副会長を務めている。上記の諸点を踏まえて、この招請にお答えし、会談と視察のため仁川広域市を訪れたものである。

仁川広域市概要:
 韓半島中西部に位置し、西海(黄海)に接している仁川市は、人口は約267万人(2008年3月末現在)。ソウル、釜山に次ぐ大韓民国3番目の都市である。首都ソウルからは約28kmの距離にある主要な港町であること等、わが国における首都東京と横浜の関係が、非常に類似している点はよく話題に上るところだ。
 仁川港は韓国第二位の貿易港。最大5万トン級の船舶90隻が同時接岸できる施設と、年間6,800万トン余の荷役能力を有している。最大10mもの潮の干満差があることから、閘門施設が整備されていることでも有名。 2011年までに北港と南港を拡張整備し、さらなる接岸能力の向上を目指している。また、急ピッチで進む松島国際新都市の南側には、新港湾の建設が進められる予定とのことである。
 2001年に開港した仁川国際空港は、現在、3本の滑走路のみで運用(計画本数は4本)されているにもかかわらず、今やアジア地域有数の戦略中枢空港に成長した。07年現在、41か国138都市にアクセスしている。世界物流量は第二位。乗客数は10位を誇る。06年の世界空港サービス評価においては第一位と、世界のトップクラス空港のステイタスをもつに至った。2020年に開発計画が完了するが、その時点では年間700万トンの貨物処理能力をもつことになる。国との連携のもと、陸、海、空の総合整備に全力を傾注し、北東アジアはもちろん、世界の経済産業ハブ都市を構築しようとする仁川の都市戦略とその進展から、横浜市は当面、眼を離すことは出来ないものと思われる。

仁川経済自由区域(IFEZ):
 韓国政府は2003年8月、仁川広域市に同国で初めての経済自由区域(Free Economic Zone)を指定。以来、ビジネス先端都市、バイオ・環境都市、ユビキタス的未来都市の建設が急ピッチですすんでいる。仁川市には、先述のように国際ハブ空港と港湾が整備されており、世界における最大市場とされる中国、経済大国・日本が、飛行時間にしてわずか1時間台という距離にある。3時間範囲内には人口100万人以上の都市が61。大げさにいえば、北東アジア一帯の経済・産業・流通・技術等がIFEZを軸に変貌していく可能性さえ、否定できないということになる。同市における新都市の建設は、まさに『アジアの関門都市』構築への一大プロジェクトということである。
 開発は三つの地域で行われており、計画の全体規模は、面積が209k屐複供ぃ械械極坪)。事業期間は2003年から2020年で、08年には一段階が完成。この機を捉えて都市博覧会を開催し、世界中から企業関係者や観光客を招いてイベントを開催、さらなるステップアップを目指そうとしている。事業費の合計はインフラ施設整備だけで、147,610億ウォン(円換算で約12兆円)を見込んでいる。
  <松島(ソンド)地区>
   開発規模 / 53.4k
   開発人口 / 253,000人
   施行主体 / 仁川広域市、財団法人松島テクノパーク、仁川都市開発公社、
            The Gale Companyなど
   主要事業 / 国際業務団地、知識情報産業団地、先端バイオ団地、先端革新クラスタ
          ー、松島国際化複合団地、松島ランドマークシティー(松島タワー)、
          仁川新港など
   開発期間 / 2002〜2020年
 同地域において、すでに完成を見ている施設としては、ソンド(松島)コンベンシア(コンベンションセンター)や、ソンド地区で働く世界各国のビジネスパーソンの子女教育を行う国際学校があるほか、ユビキタス技術を導入した未来都市が体験できる「トゥモロー・シティ( u−City 広報体験館)などがある。
 知識情報産業団地では、世界企業の研究施設が稼動を始めているほか、韓国政府の支援・協力のもとで三つの大学建設も行われている。『仁川大学』は最新の教育設備を有したユビキタス・キャンパス。外国大学の共同キャンパスにより産学研クラスタの構築をめざす 『グローバル大学』。アジアの教育と研究のハブとなる『延世大学(国際化キャンパス)』だ。
 また、開発地域全体の環境施策、ホテルやレジャー施設の誘致、居住環境への配慮も計画的に進められている。街区ごとの公園面積は確実に30%以上を確保し、それぞれが特徴を有した樹林地と水辺空間を作り出している。周辺には生物生態館や博物館、ボートハウス等も整備。 世界的ゴルファーであるジャック・二クラウスが設計・監修した18ホールの本格ゴルフクラブが、来春オープンの予定で造成が進行している。 ビジネスや観光などに欠かすことが出来ないホテルも、すでに4つの大規模ホテルが営業を始めているほか、超高層型複合マンション群も完成または、建設中であった。
  <永宗(ヨンジョン)地区>
   開発規模 / 138.3k
   計画人口 / 169,000人
   施行主体 / 韓国土地公社、仁川都市開発公社、仁川空港公社など
   主要事業 / 仁川国際空港、自由貿易地域、観光団地、複合レジャー団地、Medi−シ
            ティ(複合医療団地)、仁川展示場など
   開発期間 / 2002〜2016年
 同地区における最大のプロジェクトは、2001年開港の仁川国際空港である。仁川市沖の5つの島の間を埋立造成することによって、広大な陸地を生み出した。私は埋立て事業中に船で同地区を視察に訪れたことがあるが、巨大なプロジェクトに息を呑んだことを思い出す。4,000m級の滑走路4本を計画しているが、現在は3本完成。短期間のうちに世界的ハブ空港へと成長した。
 調査によると、09年の1年で 234万トンのIT関連の最先端高付加価値製品が、この空港から輸出されたとのデータもある。 自由貿易地域は 3.1k屬鰺し、無関税等の優遇措置が受けられるなどの物流インフラを備えている。
 Medi−シティは外国からの投資により世界規模の医療集積を行う計画。ほかに永宋地区にはブロードウェイのような専用ミュージカル劇場など、文化施設建設の予定と、雲北地区において観光・レジャー融合のテーマタウンを。 周辺の島々にも自然体験と海洋レジャーが楽しめる、ファミリー型リゾート施設の建設が計画されている。
  <菁蘿(チョンラ)地区>
   開発規模 / 17.8k
   計画人口 / 90,000人
   施行主体 / 仁川広域市、韓国土地公社、韓国農村公社など
   主要事業 / 国際金融・業務およびレジャー・スポーツ施設、R&Dセンターおよび先端
           産業団地、ロボット・ランドなど
   開発期間 / 2004〜2008年
 丘陵地帯は美しく豊かな自然が息づく地域で、海浜地区を大きく埋立造成させた。GMデウ がすでにR&Dセンターを完成させて業務を開始している。また、ソウル大学・カイスト が共同で融合専門大学院を設立し、研究団地(BITポート)が造成されることになっている。ロボット・ランドは、都市開発公社と民間事業者により計画されている世界初のロボット活用の先端テーマ・パーク。体験施設や研究棟が作られる予定。 北東アジア圏域を対象とした日帰り観光地としての地理的優位性を活かして、ゴルフ場やレジャー・文化施設整備が民間の力によって進められている。

 <経済自由区域におけるインセンティブ>
 国家的な大プロジェクトだけに、国税などにおいても数々のインセンティブが与えられており、行政の支援施策も多用だ。企業別プロジェクト・マネジャーを定めて、苦情等を一カ所で解決してくれる“One Man Service” 制度も運用されている。 詳細は以下の通り。
● 租税関連インセンティブ
 a.経済自由区域に入居した投資企業
  ・ 国税― 関税は3年間免除(輸入資本財)。 法人税・所得税は5年間100%その後2
        年50%。 総合不動産税は10年間100% その後3年50%。
  ・ 地方税― 市税のうち取得税・登録税は15年間100%。 区税の財産税は10年間
        100% その後3年50%。
  ・ 減免要件は業種別に投資金額等が異なるので注意。
 b.経済自由区域の開発事業施工者
  ・ 国税― 関税は3年間免除(輸入資本財)。 法人税・所得税及び総合不動産税は3年
        間100% その後2年50%。
  ・ 地方税― 市税の取得税・登録税は15年間100%。 区税の財産税は10年間100%
         その後3年50%。
  ・ 投資金額(比率)などで減免要件あり
 c.自由貿易地域
  ・ 国税― 関税は3年間100%。 法人税・所得税は3年間100% その後2年50%。
         総合不動産税は10年間100%その後3年50%。
  ・ 地方税― 市税の取得税・登録税は15年間100%。 区税の財産税は10年間
        100%その後3年50%。
  ・ 減免要件はいずれも製造業で1千万ドル以上。物流業で5百万ドル以上。
● 行政支援サービス
 a.金融環境サービス
  ・一万ドル範囲内で経常取引に伴う代価を対外支払い手段として直接支払える。
  ・ドル、ユーロ、円貨などの主要通貨を自由に使用できる。
 b.ワンストップサービス
  ・投資相談から事業開始までの全過程をプロジェクト・マネジャーが支援する。基礎自治体
   で行ってきた許認可業務を経済自由区域庁で一括遂行する。
 c.オンブズマンサービス
  ・外国企業の経営や生活上の問題解決を支援する専門組織としてオンブズマンを設置。
  ・紛争解決のため、行政機関に商事仲裁を行う社団法人支部を置く。
● 賃貸料、売却代金関連のインセンティブ
  賃貸期間は50年以内で、外国人投資企業もしくは、外国人投資で環境改善施設の場合
には、100%〜50%まで三段階の減免基準が設定されている。(法律や条例に基づくも
ので、詳細は省略=資料は別添)

2009仁川世界都市祝典:
 仁川経済自由区域における開発と施設建設が進む中、計画全体の中間的期間にあたる本年、未来都市を展望する都市博覧会が、ソンド(松島)地区を中心として、80日間にわたって開催されている。この都市祝典には、韓国以外の世界一流都市の建設に携わった企業も招いたほか、それらの都市の首長や経済・産業界からの出席も要請し、国際会議の開催と、展示・イベントなど、多彩なプログラムが展開されている。
 <行事の概要>
  開催期間 / 2009年8月7日〜10月25日まで(80日間)
  テ ー マ / 『 明日を照らす 』
  主 催 者 / 仁川広域市(主管/仁川世界都市祝典組織委員会)
  入場目標 / 700万人
  ビジョン / 
          未来都市のビジョン提示と地域・企業間におけるビジネスの場
          グローバルな環境イシューをリードする談論の場
          ユビキタスサービス及び先端技術を切り開く希望の場
          文化・芸術、観光など生活の質向上を実現するサービスの場
 <行事の構成>
  展  示 / 都市計画館、先端技術複合館、投資博覧会、ワールド・ハウジング・フェア、2
          009仁川グローバル・ワイン祝祭など 39事業
  国際会議 / アジア太平洋都市サミット、アジア太平洋都市市長サミット、世界知識フォ
          ーラム、国連環境フォーラムなど 28事業
  イベント / 世界ロボットサッカー大会など 32事業
 <会場の構成>
  主 会 場 / ソンド(松島)国際都市 第三工区内 約500万
  サブ会場 / ソンド(松島)国際都市地域一帯 
          祝典記念館、U-city 体験館、U交通広場、セントラルパーク、コンベンシア
  連携会場 / 仁川大橋、仁川空港、紅華地域、文鶴競技場など仁川市街
   
 私たちは27日午前、金浦空港に到着した後、午後からソンド国際都市地域を訪れ、祝典のサブ会場となっている U-city体験館を視察した。同館はトゥモロー・シティと呼ばれメイン会場ゲート正面に位置。近接のソンド・コンベンシア(国際会議場)や都市計画館・都市祝典記念館などとともに、恒久的施設として建設されている。
 ソンド地区開発全体が、未来都市の建設をめざしていることから、導入されているシステムは“先端ユビキタス技術”である。実生活のなかで適用されるユビキタス・システムで、どんなサービスが得られるのかを、館全体で体験できるように展示が工夫されている。立体画像による紹介、電話会議、タッチパネルでの案内と誘導、交通複合乗り継ぎ体系の形成などが、解りやすく展示紹介されていた。
 屋根に特徴のある、隣接の「ソンド(松島)・コンベンア」では、『2009アジア太平洋都市サミット(APCS) 』などの国際会議が開かれた。9月15日から17日までの3日間は、『同 市長サミット』が「創造的な都市開発」をテーマに開催。約100都市の市長、知事、各級議員らが参加した。わが国から招聘された講師は 佐々木雅幸 大阪市立大学教授ら。横浜市からは 野田由美子副市長(当時)が出席、最終日のレセプションで市を代表して挨拶した。

 視察をメインの祝典会場に移し、まず、都市祝典事務総長である 呉洪植氏を表敬した。呉氏は07年4月、横浜市のみなとみらい21地区を視察。横浜市における都心臨海部開発の現状等を掌握しておられる。氏は「都市博の準備のため、私が一番先に勉強のためうかがった場所が横浜市」と述べると共に、「仁川市の職員もかなりの人数が横浜市のみなとみらい地区の開発を学び、参考にさせていただいている。これからもパートナーシップ都市として、両市が多くの分野で交流を深めていくことは大変意義がある」と表明。その後、私たちは『世界都市館』、『企業独立館』、『エコパークとグリーン成長館』などを案内していただいた。
 グリーン成長館は開催日初日には李明博大統領らも来場したといわれ、バイオエネルギー、太陽光、風力などグリーン成長産業の誘致や、親環境乗り物などの開発に注力しようとする、韓国の意気込みを感じさせられた。仁川港は最大で約10mもの潮の干満差があるといわれており、その差を利用した発電システムは大変参考になった。すでに稼動していて、16万世帯がその恩恵を受けているとのことであった。
 ところで、海外からの参加館が多いことや、海外企業の関係者も長期間にわたり多数関わっていることから、その宿泊計画を聞いた。
海外都市及び海外企業の参加者には、祝典タウン(アパート)において宿泊施設を原則無料で提供している、とのことであった。1戸3部屋の施設が、祝典タウンには150戸(95.8屐腺隠娃后ィ鵜屐僕儖佞気譟∩幹間中1都市・1企業に1戸ずつ提供、宿泊所−会場間のアクセスはシャトルバスが無料運行されている。
 その他、ホテルはソンド(松島)地区内に5施設で 1,442室。 仁川市内には、三星クラス以上が21施設、2,025室。 観光ホテルは20施設、1,014室で、合わせて4,481室が用意されているが、それでも足りずにソウル市内等のホテル客が増加する傾向にある。

仁川市 市長表敬及び議長表敬における挨拶要旨:
 9月28日午前、ソンド(松島)ミチュホール応接室で、安相洙 仁川広域市長と会談。会場には、金旭仁川広域市国際関係諮問大使、崔京甫仁川広域市国際交流財団代表理事、郭河亨仁川広域市国際協力官らが同席した。
 着席後、直ちに国際顧問委嘱式が執り行われ、私に対し安市長から、同市の『国際顧問』の委嘱状が手渡された。20数年にわたり、仁川市と横浜市間の交流促進に尽力してきたこと。03年10月に私が仁川市に美術図書約1千冊を贈書したほか、日韓交流美術展開催や美術家交流を進めてきたこと、等が評価され、この委嘱式となったものである。なお私は、仁川市の民間団体である「仁川国際親善文化交流協会」からも、03年10月に国際顧問の委嘱を受けている。
安相洙 仁川広域市長の挨拶(要旨)は次の通り。
 「皆さんの仁川市訪問を心から歓迎する。横浜市と仁川広域市との関係は、たくさんの共通点があり、大変に興味深いものもある。日本の首都東京、それに隣接する横浜市。また韓国の首都ソウルと隣接する仁川広域市。人口370万人の横浜市に対して、280万人の仁川市。 両市とも、大規模な埋め立てによって都市部を開発してきた。私たちが(視察し)勉強させていただいた みなとみらい21地区など、たくさんの共通点がある。
 私も、6年前に横浜市に伺って、たくさんの勉強をさせていただいた。今年の春、横浜市は『開港150周年』を迎え、記念行事が開催されたが、仁川市からも議員や、副市長など大勢の職員が伺うことができた。また、先週仁川市で行われた『アジア太平洋都市市長サミット』には、貴市から野田由美子副市長(当時)にお出でいただいた。私が今まで会った方の中で、一番美しい完璧な英語でスピーチをしていただいた。その前には、今年7月には横浜市都市経営局長の小松崎さんが見えられ、待望の『パートナーシップ都市提携』の事前打ち合わせができた。仁川広域市は1988年12月に、北九州市と姉妹都市を結んでいる。先ほど話したように、仁川広域市の地理的関係からみても、横浜市との繋がりは、これからは、なくてはならないものになると思われる。私は来年、市長選挙を迎える。この選挙に是非とも勝って、横浜市とのパートナーシップを(より強固なものに)作り上げていきたいと思う。
 今回の、皆さんの訪問には大きな意義がある。この20数年、横浜市の大滝正雄議員を通じて、細い糸のようだった二都市間の関係が、今日のような、太い、太い関係となった。私たちは、この友情と信頼を形にしようと、大滝正雄議員に仁川広域市の国際顧問に就任していただいた。横浜市と仁川市との真の友情が、実った証拠ではないかと思われる。大滝議員には、我々の気持ちを国際顧問委嘱状として受け取って頂きたい。」
 私は丁重に御礼の言葉を述べ、安市長の三選を祈るとともに両市の相互発展のために、引き続いて交流促進に一層の努力を払うとの答礼を行った。なお、同日夕刻から市長主催の晩餐会が催され、席上、パートナーシップ都市提携の内容について、観光・コンベンション、青少年交流、文化・芸術による都市創造などが望ましいとする意見交換が行われた。また、安市長から「本協定の締結式には、横浜市の林新市長を、ぜひ仁川市にお招きしたい」との表明があり、「その意向を林市長に伝えていただきたい」との伝言を受けた。「帰国後、直ちに市長と会って、ご伝言を伝えるとともに、協定締結が無事に行われるよう調整に尽力する」ことを約した。

 9月28日午後、安市長との会談の後、仁川広域市議会を訪問。議会応接室において、高振燮 仁川広域市市議会議長らと面談した。同席議員は、尹智相企画行政委員会委員長、金楊斟文化教育社会委員会委員長、韓都燮議員、朴勝喜議員ら6議員であった。
高議長の挨拶(要旨)は次の通り。
 「280万市民を代表して、心より横浜市会議員団を歓迎する。仁川世界都市祝典を機に、仁川市の名前を全世界に知らしめて行きたい。仁川広域市は、ソウル市への玄関口にあたり、首都ソウルへ行くためには、どうしても通らなくてはならない地だ。これまでは、そのような通過都市としての仁川であった。しかし、我々はいま、仁川国際空港が出来、経済自由区域としての開発が進むことで、仁川広域市の国際的な存在価値がたかまると共に、単なるソウルへの通過点ではない、仁川らしいもっとしつかりとした都市を構築していきたいと思っている。2014年には『アジア大会』も開催される。その時までに、もっと『仁川』の名を世界に知らしめていくことを、私たちは自らの使命としている。経済自由区域、仁川国際空港など、現在は全体開発計画から見ると、まだ20%程度しか完成していない。2014年までには70%にまで作り上げるため、議会も努力をして行きたい。
 仁川市議会としては、最も大きな課題としていた横浜市との直接的な連携を、今回の横浜市会からの仁川訪問を受けて、大きく一歩進んだと実感している。これからも、連携を一層強化して、日韓両国の繋がり、アジアの友好と世界の平和のため、横浜・仁川の両市が貢献していけるよう、お互いに頑張っていきたい。今回の訪問を感謝している。」

仁川広域市中区の歴史的建築物群:
 最終日の日程を残した28日夕刻、私たちは仁川広域市中区を訪れ、現代史の重要な足跡を伝えてきた地域と、そこにある建築群を視察した。
仁川港の開港(1883年)に伴い、租界地が置かれていた仁川市内には、各国が領事館を開設。日本も1882年に、日本第一銀行仁川支店があった場所で領事業務を開始した。翌年には現在の中区庁の位置に領事館を建設。その後、1932年に新しい建物に替えたが、その建築物こそ今も大事に使われている中区庁舎である。本館が3階建てに増築され、数回の改装も行われたが、佇まいはそのままである。
 中区役所前の広場を下って、横の街路に入ると、日本の木造建築の町並みが残る地区がある。さらにそれらの木造建築とは一見似つかわしくない、重厚で堅固な建築物も通りに面して点在する。それらが、仁川開港直後から建設された『日本銀行街』である。 韓国において初めてとなる西欧式金融機関が開設されたのは1883年で、日本第一銀行仁川支店がそれだといわれている。1905年に第一銀行が貨幣改革を担当。1909年に韓国銀行が設立されるまで、韓国の中央銀行の役割も担った。現在この建物は、「仁川韓国近代最初史博物館」として開館準備中である。
 「日本第18銀行」は1890年に設置。1954年には韓国興業銀行としても使用された。今は、「仁川開港場 近代建築展示館」として活用されている。また、「日本第58銀行」は、1892年に仁川に支店をおいた。韓国の貨幣を日本に送り日本で造った新鋳貨を韓国に入れる業務を担った。後の安田銀行である。「仁川広域市飲食業組合」が今は使用。さらに、「朝鮮殖産銀行」の建物等も残されている。 これらの歴史的建築群は、周辺にある元日本企業(日本郵船など)が建築・所有していた趣のある建物とともに、仁川市の文化財に指定、保護されている。
 さらに、この地区に近接して『中華街』がある。韓国で唯一、中国人が集まり住んでいる場所である。横浜の中華街とはその成り立ちが違うが、街の再整備にあたっては、横浜の中華街に関係者が通い勉強されたと伺った。
 横浜市は、歴史的建築物を街づくりに活かす事業を、都市デザイン室が所掌して早くから行なってきた。再開発等に伴う都市開発で、貴重な歴史資産を失うことがないように、行政指導により保存・活用の途を拓いてきたものだ。最近は、創造都市事業を進めるアーティスト並びにクリエーターたちの活動拠点としても使用されている。そうした取組みを評価した仁川市当局は、横浜市に多くの職員を派遣し、施策の研究に当たってきた。
 今年4月、仁川市中区の朴承淑区長(公選による政治家)一行が横浜市を訪れ、横浜市の金田副市長を表敬したほか、中上直 中区長とも面談して、歴史的建造物を街づくりに活かす手法等について、語り合っている。私と中区選出の福島直子議員も同席したが、その折に「両市の“中区同士”による交流」を進展させていくことでも合意している。

ソウル市における環境配慮の都市整備:
 都心部を貫いていた高架の自動車専用道路を廃止し、古から住民の生活の場として親しまれてきた「清渓川」を復元再生。 川の清流やビオトープを整備して、街と人々に潤いを取り戻す大事業は、2003年7月から2年3か月の工期を経て05年10月に竣工した。整備延長は5.84km。
 かつて架かっていた22の橋を中心に、「正租斑次図」等歴史的建造物も復元されたほか、河畔にはギャラリー「文化の壁」、清渓川洗濯場、ボドゥル湿地など、ユニークで誰でもがすぐに親しむことが可能な、懐かしの光景に直面することが出来る。川の水は漢江から引かれており、せせらぎには小魚が飛跳ね、サギがそこに棲息するなど、都心の川とは思えない、静かさや安らぎを与えてくれる憩いの場だ。
 このプロジェクトは、韓国大統領である李明博氏が、ソウル市長当時に、都心への自動車流入制限、高架下の屋台や店舗移設等多くの諸課題を乗り越え実現させたもので、環境配慮や自然再生を図る大胆な試みは、世界中から注目を集めたことは、記憶に新しい。 夏場には2〜3℃も周辺温度を下げる効果があるほか、都心部の温室効果ガス削減にも、多大な貢献を果していることは言うまでもない。私たちが訪れたときも、家族連れや学生、観光客など大勢の人々が河畔を散策していた。 河畔にある「清渓川文化館」では、復元前の姿から建設中、そして復元以降と都市変貌の過程を観ることもできる。 
 政治的決断とその実行による成果は、極めて大切なこと。この長大で都心にありながら自然豊かな施設に入ると、抱え込まれる安心感のような不思議な体験は、政治力というものの力強さを、改めて確認しないわけにはいかない。

 提供(参考)資料 / いずれも大滝が保存
・ 世界一流都市インチョン 『仁川』 (日本語版)
・ “すべての道は仁川に通ず” 仁川観光公社刊 (日本語版)
・ 2009仁川世界都市祝典<80日間の未来都市物語> (日本語版)
・ 2009仁川世界都市祝典参加マニュアル(Ver.1)
・ 2009仁川世界都市祝典(日本語版リーフレット)
・ 「緑の成長」館 SHOW GUIDE
・ アジア太平洋都市サミット(案内資料)
・ 2009 ASIA PACIFIC CITIES SUMMIT (日本版リーフレット)
・ 2009アジア太平洋市長サミット(案内資料)
・ INCHEON NEWS ―― Cites Summit in Incheon (英語版)
・ Business hub of Asia−Incheon Free Economic Zone (ハングル語版)
・ 同上(日本語版)
・ Yellow Sea Free Economic Zone―Businessism City (ハングル語版)
・ Creating Korea’s Path to the Future ― SONDO LANDOMARK CITY
(ハングル語 英語版)
・ ifez journal(ハングル語版)
・ Enjoy! Ifez (ハングル語版パンフ)
・ Gwangyang Bay Area Free Economic Zone(英語版)
・ その他 「息づく千年の文化遺産」「戦争記念館」パンフ等
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訪インド横浜・神奈川代表団 <視察報告書>
■ 団員名簿および役員構成
○ 神奈川県グループ(ニューデリー、バンガロール、チェンナイ訪問)
  ・ 松沢成文 神奈川県知事 以下16名
○ 「横浜インドセンター2008年度設立協議会」及び「神奈川政経懇話会」グループ(ニューデリー、ムンバイ訪問)
  ・ 西田義博 同協議会 副会長 以下34名
○ 団 役員
  ・ 団 長     西田義博 同協議会 副会長、横浜貿易協会 会長
  ・ 副団長    稲村隆二 神奈川新聞社 社長
            太田嘉雄 横浜商工会議所 副会頭、蟆I誘箙埃萃役
   ・ 顧 問    大滝正雄 同協議会 理事、横浜市会議員
   ・ コーディネーター ナリン・C・アドバニ 同協議会 理事、バルコ蠡緝充萃役社長
  ・ 特別参加   梶 正彦 タタ・コンサルタンシーサービシズ・ジャパン蠎卍
            スリニバサン・ハリハラン タタ・コンサルタンシーサービシズ プリンシパル・コンサルタント

■ 訪インド 日程概要
○ 全体日程   平成20年1月27日〜2月3日
○ 行  程
1月27日
東京国際空港(JL−471)午前11:00発 同日インディラ・ガンジー国際空港18:00着
1月28日
在インド日本国大使館訪問
・堂道秀明大使および竹若敬三経済公使らによるレクチャー
日本貿易振興機構(JETRO)によるインド事情説明会(メトロポリタン・ホテル、キャピタルルーム)
 ・ジェトロ・ニューデリーセンター 野口直良所長の講演
インド日本商工会との昼食懇談会(同ホテル)
 ・インド日本商工会 山本雅之副会長(伊藤忠インド会社社長)の基調講演
インド商工省表敬訪問
 ・カマル・ナート商工大臣と会談
インド商工会議所連合会(FICCI)との会合(FICCIビル)
 ・横浜・神奈川−インド・ビジネスセミナー及び、協力協定調印
 ・FICCI主催のレセプション
1月29日
日本からのインド進出企業訪問
 ・日本発条インド プレゼンテーション及び工場内見学
 ・ヒーロー・ホンダ・モーターズ プレゼンテーション及び工場内見学
1月30日
アグラ 世界遺産の視察
 ・タージ・マハール及びアグラ城
1月31日
ニューデリーからムンバイへ移動(9W‐308)
インド企業への訪問
 ・タタ・コンサルタンシーサービシズ 主任コンサルタントのスリニバサン・ハリハラン氏によるプレゼンテーション
 ・タタ・グループ企業のショウルーム見学
2月 1日
在ムンバイ日本国総領事館訪問
 ・萩生田浩次総領事、岩撫明主席領事らと懇談
 ・ムンバイ市役所訪問および市内のマーケット視察
ボンベイ日本商工会との昼食会
 ・ボンベイ日本商工会会長の奥井忠之氏(伊藤忠ムンバイ支店長)の基調講演(ホテル・ヒルトンタワーズ内の インディア・ジョーンズ・レストラン)
インド商工会議所(IMC)との会合(IMCビル)
 ・横浜・神奈川/ムンバイ・ビジネスセミナー及び、協力協定調印
 ・IMC主催のレセプション
解団式(ホテル・ヒルトンタワー)
2月 2日
ムンバイ発、ニューデリーへ。デリーより帰国
 ・ムンバイ空港への車中より、ヴィクトリア・ターミナル駅ほか歴史的建築物を視察。他に「大洗濯場」なども。
ムンバイ発(9W‐351) からニューデリー へ ニューデリー発(JL―472)、東京へ
2月 3日
東京国際空港(成田) 午前6:00着

■ 主要行事の式次第及びコメント概要 その
○ 在インド日本国大使館での堂道秀明大使との会談(1月28日)
 大使館の応接室で堂道秀明大使らと面談。訪問団からは、松沢成文神奈川県知事、西田義博訪印団団長(横浜貿易協会会長)および夫人、稲村隆二副団長(神奈川新聞代表取締役社長)、太田嘉雄副団長(横浜商工会議所副会頭)、原章一 日本発条蠑鑢骸更毀魄、梶正彦 タタ・コンサルタンシー・サービシズジャパン蠡緝充萃役社長、ナリン・C・アドバニ 横浜インドセンター設立協議会理事(バルコ蠡緝充萃役社長)、宮原豊 日本貿易振興機構(JETO)横浜貿易情報センター所長、そして私(同協議会理事)も訪印団顧問の立場で参加した。
 大使館内を案内していただいた後、経済公使の説明と堂道大使の補足的解説により、急速な成長を続ける「インドの経済概況」や、政治状況について、約1時間半に及ぶレクチャーを受けた。以下に、その概要を列記する。
1)まず、インド経済全般について
・インドの人口は約11億人で、世界第二位。国土面積は3,287平方km。これはロシアを除くヨーロッパとほぼ同じ面積である。
・GDPは、日本、中国に続いてアジア第三位。2006年度は8,260億ドル、この額もASEAN全体の90%と同じ。
・経済成長率は、2006年度で9.4%。過去5年間の平均成長率は約8%。90年代前半の5.5%、90年代後半の6%から、顕著に上昇が続いている。
・インド経済の「強み」をあげると、\渋ざ箸肇機璽咼攻箸裡卸綫長が牽引力になっている 年収9万ルピー以上が全人口の30%(2001年時)等、中間層が拡大している アメリカを中心とする在外インド人は約3,000万人(米国には225万人、日本には1万2千人)にも上る ぃ横虻侈にの人口割合が42.8%と、今後も豊富な労働力が見込まれる。
2)所得別人口比率の推移を見ると、中間層や高所得層は確実に拡大している。今後は消費も爆発的に増加していく。しかし、貧困層の比率も低下傾向にはあるものの、依然として全人口の約30%が、貧困ライン以下の生活を送っているという現実もある。
3)インドの経済成長を支えているのは、内需と投資である。貯蓄率も、00年度に約25%だったが05年度には約32%に。投資率は、00年度約26%が、06年度に約34%へと増加。産業別で特に顕著な伸びは、製造業とサービス業でそれぞれ約10%成長を続けている。携帯電話は月800万人の新規加入があり、わが国の2倍の人が携帯を持っているという数字を見ても、成長の度合いが理解できよう。
4)鉱工業部門の成長も著しい。資本財・基礎財の生産拡大が近年の成長を牽引しているともいえる。サービス部門の「強み」については、。稗垰唆箸引き続き好調で、過去5年間で3倍(主にソフトウェアの輸出)に増加している 通信分野の成長、特に携帯電話加入者の成長率は47.2%も 6睛察Υ儻・物流などの分野でも成長が力強い――などが指摘できる。
5)インドの貿易総額は過去4年で倍増している。対GDP比(2006年統計)は、輸出15.3%、輸入23.0%、貿易赤字7.9%となっている。貿易総額の上位国でみると、一位がアメリカ、二位 中国、三位 アラブ首長国連邦の順。主な貿易相手国との貿易総額については、インド−アメリカ貿易が310億ドル、インド−EU貿易 500億ドル、インド−中国貿易 350億ドル、インド−ASEAN貿易 300億ドル、などとなっている。ちなみに、日本は200億ドル。中国は今年度に400億ドルを超えたといわれ、2010年までに600億ドルを目指すとしている。
6)インドへの直接投資も拡大。05年度約77億ドルが、06年度には2.5倍増の195億ドルとなつた。直接投資の多い国は、一位がモーリシャス、二位 アメリカ、三位がイギリスの順。貿易赤字が増加傾向にあるが、サービス輸出や海外送金の拡大、海外からの投資拡大等により、国際収支は大幅な黒字であり収支バランスは安定している。
7)インドの発電電力量の見通しは、05年度以降は年平均4.6%で増加。2030年までに3倍以上になる見通しだ。発電電力の中心は石炭(70%)。これからは、ガス、原子力、水力も拡大して2030年までに、それぞれ4倍、6.6倍、2.4倍になるとの試算がある。また、石油の輸入依存度も増加傾向。世界の石油供給量の約3%を消費している。輸入先はサウジアラビア、ナイジェリア、クウエートなど。石炭も12%を輸入に依存。輸入先はオーストラリア、インドネシア、中国などとなっている。
8)インドの第11次5か年計画とは、2007年〜10年度までの計画。目標は「迅速かつ包括的な経済成長の達成」としており、年平均の目標成長率を9%においている。貯蓄率の目標は32.3%、投資率目標は35.1%。インフラ投資需要額は5,000億ドル、官民の投資割合は 官70.4% 対 民29.6%。とくに高い投資需要の分野は電力、道路、通信、鉄道といわれる。そして5か年計画期間中の優先課題は’清箸虜導萓化 雇用の拡大 I郎ち悗悗隆霑壇サービスの提供 だ渋ざ箸龍チ萠浪善 ゥバナンスの改善 Τ丙垢畔断の解消である。
9)日印間の貿易について。2002年に約40億ドルだったが、2006年には約86億ドルと倍増している。インドからのわが国の輸入は、これまでの伝統的な輸入品であった鉄鉱石、宝石、宝飾品、海産物等に加え、近年は石油製品の輸入量が急速に拡大している。一方、日本からは一般機械、電子機器、鉄鋼製品、輸送機器などの輸出量が拡大する傾向にある。わが国の対世界貿易の中でのインドの占める割合は2006年に0.6%だが、インドの対世界貿易の中での日本の割合は2.5%となっている。この数字は飛躍的に拡大するだろう。
10)日本のインドへの直接投資額は、05年度298億円(2.55億ドル)だつたが、06年には598億円(5.16億ドル)と倍増した。日系企業の対インド直接投資額は今後5年間で、66億から84億ドルに達すると見られている。
11)対インド経済協力は1958年に円借款を開始。わが国はインドへの最大の二国間ドナーである。03年以降インドは円借款の最大の受取り国で、06年度は約1850億円である。技術協力においては05年度末までの実績として4,789人の研修生を受け入れているほか、専門家を679人派遣している。06年12月にシン首相が来日した折、製造業促進のための人材育成を柱とした「経済パートナーシップ・イニシアティブ」を発表した。
 以上のようなプレゼンが大使館側から行なわれ、適宜、質疑応答も行なわれた。西田インドセンター設立協議会副会長は、横浜インドセンターの設立趣旨やこれまでの活動を紹介。また横浜とインドとの長い交流の歴史にもふれ、インドの経済団体との協定調印を機にさらに交流拡大を図りたいと述べた。私は岡山県や福岡県など、最近、地方自治体とインドの各州が交流促進や姉妹都市提携の動きを見せていることを踏まえ、今後の自治体間交流に対するインド政府側の戦略や州・市などの考えを尋ねた。また、昨年の「日印文化交流年」事業の成果や文化・学術・青年などの交流について、わが国政府が取り組もうとしている具体的な施策等に関しても、大使の率直な見解を伺った。
 松沢知事は「神奈川県としてもインドの州との姉妹提携の可能性を探っている」とし、大使館の協力を要請。堂道大使は、横浜・ムンバイの40年に亘る姉妹都市交流を高く評価し、「(今回の訪印を)日印の関係を更に発展させる契機に」と、期待を表した。

○ JETROニューデリー・センター野口直良所長の講演とプレゼンテーション
「インド市場の現状と日系企業の動向について」(1月28日、メトロポリタンホテル・キャピタル・ルーム)
  〜 インド経済や市場の現状 などについては、大使館でのミーティング内容と重複する部分があるので省略 〜
1)インド国立応用経済研究所の調査でも明らかだが、近年、所得水準の向上が顕著になっていることがわかる。中間層は2001年時点でインド全人口の6%弱だが、それでも人口を11億人とすると中間層は6,000万人。これが09年には全人口の13%に増加すると予測されており、購買層の急速な拡大を外国企業がターゲットにしているといえる。
2)インドの新富裕層とは、年収20万〜100万ルピーの世帯と定義されている。同層のうち、25%〜30%が自動車を保有している。66%がテレビや冷蔵庫といった家電製品を保有している。2010年には乗用車は200万台、二輪車は1,000万台を突破する見通しで、国内市場の成長は著しい。
3)外資規制の緩和政策も徐々に進んでおり、従来は政府による事前認可制であった『卸売業への参入』が事前認可不要となった。これにより100%出資の子会社の設立が可能となり、総合商社、専門商社などによる輸入販売活動が活発化。日系家電メーカーの販売店なども卸売業態で進出し、各地に展開し始めている。
4)また、小売業も単一ブランドを51%まで開放。自社51%出資の小売店を展開できるようにもなった。ただし事前認可が必要で販売商品名を明記して申請することになっている。小売チェーン(ウォルマート等)の進出は出来ない。
5)インドへの進出パターンには、仝獣亘/諭´∋拇后´C鷓澎事務所 ぅ廛蹈献Дトオフィス、の4つの形態がある。 ,魯ぅ鵐匹粒飴饑策によるガイドラインがあり、インドの会社法による手続きが必要。事業面での自由度は高いが撤退は困難といわれる。法人税率は33.99%。 △詫入や国内販売などの業務が可能。事業面での自由度は低いが撤退は比較的容易。法人税率は42.23%。 は市場調査などを目的とする連絡業務のみで、商業活動・利益を伴う活動は禁止。基本的に課税はない。 い惑Р弔魯院璽后Ε丱ぁΕ院璽后F団蝓Ω鎚魅廛蹈献Дトのための事業形態でそれ以外の活動は出来ない。法人税率は42.23%。
6)対インド投資について。外国直接投資は、デリーNCR、マハラシュトラ州、カルナタカ州、タミル・ナドゥ州の国内4拠点に集中している。デリーに隣接するハリヤナ州やノイダ州を含めた一大産業拠点には日系自動車産業が集積。マハラシュトラ州のムンバイは金融・商業の中心、国内最大のコンテナ港にも近い。カルナタカ州はバンガロールに多国籍IT企業が集積、研究開発型投資の中心地でトヨタ等日系企業も多数進出している。タミル・ナドゥ州のチェンナイ近郊は「インドのデトロイト」と呼ばれる自動車産業の集積地。優良な工業団地整備や開発が進んでいる。
7)業態別の日系企業の最近の動向についても詳述されたが、内容は省略。
8)日系企業による対インド投資の方向性・展望等については、まず第一に、既存の自動車メーカーが生産規模の拡大を図っていること、及び日産など新規メーカーの進出に伴って周辺産業の投資ブームが再燃する。第二に自動車関連から工作機械・自動化機械・設備・エンジニアリングサービスなど、周辺産業へ投資分野が急速に広がっている。第三に市場の成熟に伴って各種消費財の高付加価値化や、部品・技術の高度化が進んでいて、日系部品メーカーへの進出ニーズが拡大する。四番目にASEANや日本から代理店を通じてインドを見ていたメーカーが、自社の販売網を急速に整備・拡充を図りつつあること――などが考えられる。
9)一方で、インドビジネスを進めるにあたっての留意点も指摘できる。その第一は『高コスト化』。地価やオフィス賃料の高騰が続いており、デリー首都圏内の工業団地購入価格は、2年間で5倍〜10倍に。市内のオフィス賃料も約3倍。駐在員住宅の賃料も年率10%〜15%上昇。ホテル宿泊料は2年間で約2.5倍にも急騰した。
10)労務管理費やエネルギーコストの問題も。日系企業で働くインド人スタッフの賃金上昇率は06年度実績で13.7%。ワーカーは11.3%。07年度にはスタッフ16.1%、ワーカー11.8%と予測されている。一部のエンジニアや管理職はすでに先進国並みとなっている。電力も頻発する停電に備えて自家発電設備などのランニングコストがかさむこと、レギュラーガソリンも上がり、バンコクの1.5倍、クアラルンプールの2倍以上ともいわれる。
11)工業団地整備が遅れているため需要過多現象もおきており、優良工業団地が大幅に不足している。日系企業(商社など)の開発による工業団地はない。また貸し工場的な設備もないので、土地購入や工場建設はすべて自社で行なう必要がある。その他、複雑な間接税体系などに加え、頻繁に税制の変更(体系変更、新税導入など)がなされる点にも注意する必要がある。
12)横浜・神奈川からのインド進出企業は23社、24拠点(2007年)である。現地法人20、支店・駐在員事務所は4。またインドに本社を置き神奈川県下に日本本社・日本支店・駐在員事務所を設置している企業は10社(川崎市に1社、あとは横浜市)となっている。
野口所長の講演とプレゼンテーションのあと、インド日本商工会の役員の皆さんも合流して昼食懇談会を開催。冒頭に山本雅之副会頭(伊藤忠インド会社社長)が挨拶し、現地での企業活動や日本人会の動きなども紹介。食事を挟みながら有意義な懇談の機会を得ることが出来た。

○ インド商工省の表敬とカマル・ナート商工大臣との会談(1月28日)
 夕刻にインド商工省を表敬。カマル・ナート商工大臣と省内の会議室で懇談した。表敬メンバーは、在インド大使館を訪問した団役員と同じ。ナート大臣は松沢神奈川県知事を代表とした訪印団を暖かく歓迎。「日印間の交流をより広く、(産業経済などの)取引きをもっと拡大するためにも日本の県など自治体が大事だと考えている。経済界の方々も大勢インドを訪問され非常に嬉しい」と重ねて表明。横浜とインドとの長い交流の歴史にも自らふれ、「横浜には多くのインド人が住んでいる。ビジネスマンもたくさん働いている。姉妹都市の関係をこれからも大事にしたい。インドセンターの設立は(横浜が)相応しいと思う」と応じた。
 松沢知事が「ローカルとローカルの外交が重要との考えから、神奈川県がインドのいずれかの州とパートナーシップを結ぶことを提案させていただきたい」と述べ、自動車産業等が集積し日系企業も進出しているタミル・ナドゥ州を例にあげたことに対し、ナート大臣はデリー・ムンバイ間のコリドー・プロジェクトが動き出す、デリー周辺の州も候補にしたらどうかなど、具体的な地域をあげた点も注目された。
 インドセンター設立協議会の西田副会長は、横浜開港150周年を2009年に迎えることを述べながら、開港初期からインド人が横浜を拠点に経済活動を活発に展開したことを紹介。現在も横浜には多くのインドの方々が活躍されているとして、ナート大臣とも親しいインド著名人を挙げると、大臣は「横浜にぜひとも訪問したいと考えている」と、嬉しそうに応じるなど、終始和やかで友好的な会談となつた。

○ 訪横浜・神奈川インド代表団とインド商工会議所連合会(FICCI)との会合 (1月28日、FICCIビル)

1)ミーティング及び協力協定調印の式次第
・ オンカー・S・カンワール インド日本経済委員会会長の歓迎の挨拶
・竹若敬三 在インド日本国大使館経済公使の挨拶
・山本雅之 インド日本商工会議所副会頭の挨拶
・松沢成文 神奈川県知事の挨拶とプレゼンテーション
・FICCI及び「横浜インドセンター設立協議会」による協力協定書調印式
FICCI側      オンカー・S・カンワール印日経済委員会会長
横浜インドセンター側  西田義博インドセンター2009設立協議会副会長
・大滝正雄 横浜市会議員の挨拶 および長谷部亮横浜企業支援財団課長のプレゼンテーション
・西田義博 横浜インドセンター2008年設立協議会副会長のプレゼンテーション
・梶正彦 タタ・コンサルタンシーサービシズ ジャパン代表取締役のプレゼン
・<質疑応答>
・ラジャン・コーリ FICCI事務局長の閉会の挨拶

2) 松沢成文神奈川県知事によるプレゼン概要
 ・ 神奈川県の投資環境等についてPRさせていただく。神奈川県は首都・東京の西側に位置し電車で30分。日本の1/3の人口が集中する首都圏の一角にある。そのため市場は世界でもトップランクに位置し、様々なビジネスが発展する理想的条件がそろっている。
・ 2007年、OECD加盟国の中で日本の国内総生産は米国に次ぐ第二位。神奈川県の総生産は約30兆円。これはオーストリアとギリシャの間に位置し、世界の先進国と匹敵する規模だ。県内には約30万の事業所があり国内第四位である。
・ 神奈川県には国際ビジネスの場で活躍する多くの企業が集積。国内外の世界最先端の企業が神奈川を拠点にしている。まずIT産業、電子技術などの分野の企業集積がある。次いでバイオテクノロジーやライフサイエンスの分野。また自動車、機械産業も盛んだ。エネルギー、環境、素材産業の集積も上げられる。
・ インドからの長くお付き合いできるビジネスパートナーを、ぜひ神奈川にお迎えしたい。神奈川でのビジネスには多くのメリットがある。たとえば助成制度、税制上の優遇措置、コストパフォーマンスの高いオフィスや不動産、高度に整備された社会インフラ、効率的なロジスティクス、そして快適な住環境だ。
・ 神奈川では「インベスト神奈川」という支援策がある。窓口を一本化して企業進出・ビジネス促進のためのサポートを行なっている。工場など施設整備の投資に対しては最大20億円まで助成する。融資は最大8億円、1.6%の低金利だ。その他のメリットは不動産価格が比較的安い点だ。オフィス賃料は東京に比べて格段にリーズナブルだ。
・ 新幹線など鉄道システムも発展しており、東京や他都市へのアクセスは充実している。空の便も羽田空港は横浜から30分。国際線サービスも本格化することになっている。海上交通では横浜、川崎、横須賀に国際貿易港がある。
・ 神奈川県にはインターナショナルスクールや英語、中国語、韓国語、ポルトガル語、そのたの言語でも診察を受けられる医療施設がある。外国製品が充実した商店街やショッピングセンターもあり、買い物を楽しむことが出来る。
・ 皆様が神奈川に進出するには、県がJETOと運営する「IBSC神奈川」へ問い合わせを。ワンストップでのサービスを利用いただける。具体的な企業支援プロジェクトは、海外企業立ち上げのサポート、JETRO横浜でのオフィススペースを4か月間無料提供、無料の高速インターネット・アクセス、法律の専門家や税理士相談なども無料だ。
・ 神奈川は国際的なビジネス地域だ。海外企業との友好関係は神奈川の発展に貢献すると信じている。未来を一緒に切り開こう。

3) 大滝正雄の挨拶および長谷部IDEC課長のプレゼン概要
 ・ 協力協定調印式の席上において、横浜市を代表して挨拶出来る機会をいただき、感謝している。横浜市は人口363万人の日本第二位の都市である。わが国を代表する国際港を有し、古くからインドと貿易を通じて交流を深めてきた。
・ 最近では横浜市の中心部に、タタやウィプロといった、貴国を代表するIT企業のほか、自動車部品や製薬関係企業も立地し、インド企業の一大集積地とも言える様相を呈してきている。
・ 最近、横浜市はインド企業の皆さんが一層進出しやすいビジネス環境を整えるため、インド系インターナショナルスクールを誘致した。その場所は元小学校だったところで、教室はもとよりグランド、体育館等の設備も利用できる。現在は今年中の開校に向けた準備を進めているところだ。
・ 近年の貴国経済は、躍進というよりも衝撃という言葉が相応しいほどの、成長を見せている。昨年決定されたデリー・ムンバイ間産業大動脈構想など、産業基盤も急速に充実しつつある貴国と、一緒になって成長していく流れを描き出すことが、横浜市経済のみならず日本経済のいっそうの飛躍・発展のために欠かせないものと、私は考えている。
・ 私のあとに、横浜のビジネス環境について、横浜企業経営支援財団(IDEC)の長谷部課長から紹介させていただく。これを機会にぜひ皆様に横浜への関心を抱いていただき、横浜とインドとの新たな一頁が開かれるよう期待している。
続いて、IDECの長谷部課長からプレゼンテーション。
・ 横浜市には外資系企業の本社が420社も立地している。これは東京に次いで第二位の数だ。インドを代表するIT企業、製薬会社、自動車部品企業も横浜に拠点を置いている。
・ 横浜には世界的に活躍する企業も立地している。日産自動車は2009年に東京から横浜に本社を移し、富士ゼロックス社も統合R&D拠点を横浜に新設する。
・ なぜ企業が横浜を選ぶのか。まず優れた交通アクセスがある。横浜は首都圏に位置し、国際空港へのアクセスも容易だ。昨年9月からムンバイ−東京間に、直行便が週6便運行されるようにもなった。日本の首都圏は4,200万人を超える巨大なマーケットだ。そのマーケットへも簡単に横浜からアクセスできる。
・ 次の優位性はコストパフォーマンスに優れている点だ。オフィス賃料は東京の60%。東京と同等のビジネス環境を40%も安く入手できる。また横浜周辺には世界的なエレクトロ二クスメーカーや研究開発拠点が多数立地しており、サポートする技術系の中小企業も重層的に集積している。
・ 横浜・神奈川の技術者や科学研究者は34万人超。日本一を誇っている。横浜市内には10の理工系大学と医学系大学がある。人材を確保しやすい場所といえる。
・ 「みなとみらい地区」には1,180社があり、58,000人が働いている。この地域には企業本社等のほか、ショッピング・食事等の店舗、ホテル、美術館・コンサートホール等の文化施設、コンベンション施設などが集積している。住環境の良さも横浜の魅力で、「住みたい街」第一位(インターネット調査)に2年連続で選ばれたほどだ。
・ 助成金制度なども国籍を問わず充実している。1859年の横浜開港以来、都市のDNAはチャレンジと新しい人を受け入れることにある。技術、製品、新たなビジネス展開を歓迎する、気風に溢れている街が横浜だ。2009年には開港150周年を迎える。この年を皆さんと共に祝えることを楽しみにしている。

4) 西田義博「横浜インドセンター2008年度設立協議会」副会長の挨拶概要
 ・ このたび、横浜インドセンター協議会とFICCIとの協力協定締結にご賛同いただくとともに、われわれ代表団の受け入れやレセプション等、大変行き届いたご配慮・ご歓待を賜ったことを厚く御礼申し上げたい。
・ 私は、横浜市とインドとの関係、並びに「横浜インドセンターの機能」について述べたい。インド貿易商が横浜に来て商売の拠点を設けたのは、1859年の横浜開港から4年後のことだった。横浜とインドは爾来、緊密かつ持続的な友好関係を保持してきた。横浜市とムンバイ市は、両国間唯一の市同士の姉妹関係にある。
・ 相互の関係には、困難な時期もあった。1923年の関東大震災で横浜は壊滅的な打撃を受けた。インド貿易商は神戸に移ったが、横浜は官民をあげてインド貿易商を横浜に呼び戻すため真摯な努力をした。私の祖父も私財を抵当にして、事業所建設を助成する特別基金の創設に尽力した。絹・絹製品貿易は今日でもわが社業を支える柱の一つだ。
・ 第二次世界大戦後もインド貿易商を横浜に呼ぶため、横浜に20棟のビルを建設。インド貿易商が格安で利用できる措置を講じるなどした。これらが戦後の横浜インド・コミュニティ形成の基礎となった。
・ その後日本経済の発展とともに対印貿易は堅調な伸びを続け、近年は相互関係の重心は貿易から投資に移行している。タタ、ウィプロ、iGate、NIITなど大手のインド企業が日本本社を横浜に置き、一方で、横浜・神奈川の企業がインドに進出している。このような歴史的経緯に照らしても、われわれは日印両国間の経済・文化交流のいっそうの拡大に、横浜が引き続いて重要な役割を果すことができると確信する。
・ このような観点から、横浜・神奈川の経済関連団体と行政は、インドコミュニティ関係者も交えて、2008年度内に横浜へのインドセンター設立に関して合意した。同センターの主目的は、横浜・神奈川地域へのインド企業の誘致であり、それを通じて横浜経済のみならず日本経済全体の活性化に寄与できると考えている。
・ センターの主たる機能は、日本への進出を目指している企業や日本企業と取引を希望しているインド企業を支援することだ。次のようなサービスを提供する。.ぅ鵐ュベーションとスタートアップ支援 ▲▲疋丱ぅ競蝓次Ε機璽咼垢猟鷆 ´9埓に対するビジネス・生活環境等の提言 げI諭神奈川地域のビジネス・生活環境についての情報提供。
・ 横浜にはインド人のコミュニティが存在し、インド文化のイベントも頻繁に開催されている。自国にいるような気分で楽しく満足のいく生活を送れる場だ。ビジネス上でも好適な地域であり、インド企業の方々に進出候補先として是非とも横浜を検討していただきたい。
・ 同センターのもう一つと機能は、インド市場に進出しようとする横浜企業に対する支援だ。この面での情報・ガイダンス・アドバイスの提供などについてFICCIのご協力をお願いしたい。さらにビジネス代表団や要人の交換、商談会、セミナーや展示会、その他イベントでもFICCIと綿密に協力していきたい。
・ 今回の訪印を通じてわれわれは、広範なインド政府並びに経済界の皆様に、「横浜インドセンター」のことを知っていただきたいと念願している。またFICCIはじめ経済団体、インドの中央・地方政府との協力関係を進める基盤を築きたいと願っている。日印関係は今、飛躍的進展が望める新たな段階を迎えている。「横浜インドセンター」の任務を果たして新時代の両国関係構築に資することが、われわれの心からの願いでもある。
・ 最後に横浜インドセンター設立協議会を代表して、FICCIが近い将来に横浜へ代表団を派遣されることを招請する。今回のFICCIによるご協力と温かいホスピタリティに対し、お返しできる機会を待ち望んでいる。
 ミーティングは通訳なしのすべて英語で行なわれた。前述のプレゼンテーター以外では、山本雅之インド日本商工会副会頭は、インドに進出している日本企業の最近の活動状況や日本人会の動きなどを紹介。梶TCSジャパン社長は、日本におけるIT関連ビジネスとインドのIT企業の関係等についてプレゼンテーションを行なった。長時間に亘った会合になったため、質疑の時間は省略。ミーティング後は会議場の上階でFICCI主催のレセプションに移り、訪印団メンバーとインド側の出席者らと個別に接触。積極的な企業セールスや取引き照会などが遅い時間まで行なわれた。

■ インド進出日系企業およびインド企業の訪問
○ 日本発条インド株式会社 (1月29日)
日発インド蠅蓮■隠坑坑暁11月に日本発条、日系商社、インドのバネメーカー等4社の合弁で設立。現在は94%日発資本の会社として、乗用車用の巻バネで32%、スタビライザーで47%のシェアを持つ。現工場の日本人スタッフは田中社長以下1人。あとのワーカーはすべてインド人。同社の田中社長の話によると、同社工場内において現在新たなスタビライザー工場と巻バネ第二ラインの増設をしており、それに伴う既存工場の閉鎖及び労務問題が大きな課題になっている、とのことであった。限られた時間と人員でダブルの立ち上げを成功に導こうとする、就任4年になる田中社長の積極的な姿勢とお話しは、訪印団のメンバーにとってとても印象深く心に残った。
また、同社の顧問弁護士アロック氏は、日本からインドに進出しようとする企業に対し、〇埔貭敢困不可欠 現地パートナーは必要 JVを組むときは相手を良く調査する た塀仞茲大事(消費者に最も近い場所を選ぶ) ハ務問題や政治家の介入に留意――などを具体的にアドバイス。問題が起こってから対処するより、専門家の相談を得て「予防」していくことが大切、と訴えていた。

○ ヒーロー ホンダモーター株式会社 (1月29日)
ヒーローホンダモーター蠅蓮■隠坑牽看12月に本田技研から26%出資を得て設立。ハリヤナ州の現工場は1997年から稼動。従業員は11,578人。99%が現地採用で日本人の駐在員はわずか7人。7年連続で2輪車の生産・出荷・販売台数が世界第一位を占め、昨年は334万台、今年は335万台を生産。昨年はトータルで2,000万台突破という大記録を達成している。
社会貢献活動にも力を注ぎ、小・中・高校や技術専門学校の設立、病院建設などのほか、水不足地域に井戸掘り等の多彩な活動も。インド各地での安全運転普及活動などにも取り組んでいる。吉村テクニカル・アドバイザーの案内で工場内を一巡して見学。一台18秒間で次々に生産されているラインを目の当たりにしてきた。

○ タタ・コンサルタンシーサービシズ co. (1月31日)
 訪印団一行は31日午後、ムンバイ市郊外にあるTATA事務所を訪問。主任コンサルタントのスリニバサン・ハリハラン氏の歓迎を受け、事業の概要説明を受けた。氏は93〜98年にかけて日本滞在。日・韓両国のマーケティングやビジネスサポートを仕事とした経験をもつ。
TATAは1968年に設立された会社で、TCSは100社あまりあるタタ・グループの会社の一つ。TCSも1968年に設立されている。TATAはいうまでもなく、インド最大のビジネス・グループ。現在7つの事業部(情報技術、エンジニアリング、資材、サービス、エネルギー、消費財、化学)が世界80か国において多角的なビジネスを行なっている。2007年の収益は290億ドル。これはインドのGDPの3.2%に匹敵する数字。グループ収益の約38%はインド以外の国々からのもの。従業員は33万人。過去15年において、収益の年平均成長率16%、利益の年平均成長率は20%という。
 TCSはTATA設立後ちょうど100年後に、インド最初のIT会社として設立。今もそのパイオニア精神は少しも衰えていない。社員数10万7千人。06〜07年の収益は日本円にして4700億円。39か国に150以上の事業所を構えている。全社的にCMMIおよびPCMMでレベル5を達成した世界最初の企業で、品質と人事管理面においては、どこにも引けをとらないと自信を見せる。研究・開発へは持続的かつ積極的な投資を続けており、横浜みなとみらい地区のクイーンズタワー内にある「日本DC(ディベロップメント・センター)」もその一つ。1992年開設のタタ・コンサルタンシーサービシズ・ジャパンは、04年に株式会社を設立している。約350人の社員のうち、約100人が日本人スタッフとのことであった。28日のFICCIでの調印式典にもTCSジャパンの梶正彦社長が出席。日本企業のインド進出へのアドバイスや市場情報等をプレゼンテーションした。

■ 世界遺産の視察
1月30日、アグラにあるインドを代表する世界遺産二か所を視察した。早朝にデリーの宿舎を発ち、夜中に寄宿するという一日がかりのバスの旅であった。インドには世界文化遺産が22か所、世界自然遺産が5か所ある。ロンリー・プラネット2005によると、世界観光地のトップ5にインドがランク。その魅力は多彩な民族により悠久の歴史が育んできた混在した文化にあると思われる。とりわけ豊かな建築群はその白眉といっても良い。タージ・マハルとアグラ城塞は、ともに1983年に世界文化遺産登録された。

○ タージ・マハル
 16世紀から19世紀にかけてインドを支配したムガール帝国。「タージ・マハル」は、その第五代シャー・ジャハーンが、妃ムムターズ・マハルのために帝国の財力を注ぎ込み22年間もの歳月をかけて建設した霊廟である。中心部の高さは58m。白亜の大理石や世界各地の貴石が使われ、豊かな噴水に囲まれて立っている。四隅に聳える塔とともに建物全体が醸し出す秀麗さはまさに「偉大な建築物」の名を欲しいままにしている。

○ アグラ城塞
 ムガール帝国の強大な権力を象徴した城塞。「大帝」と呼ばれた第三代皇帝アクバルにより、1565年に建設が始まったとされ、18世紀初頭までに現在見る全容が築き上げられた。城塞の全長は25km、高さ20m。内側には宮殿、モスク、バザール、居住区などが備えられている。見事な石造り象嵌や大理石で建造された謁見の間など、美術的価値が非常に高いことでも有名。タージ・マハールを築いたジャハーンが息子に幽閉され、そこで世を去った塔からは、ヤムナー河畔越しに小さくその霊廟を望むことが出来る。

■ 主要行事の式次第及びコメント概要 その
○ 在ムンバイ日本国総領事館での 萩生田浩次総領事との会談(2月1日)
 インド第二の経済都市、商都・ムンバイにある総領事館に1日午前、萩生田総領事を表敬。総領事館の応接室で総領事や主席領事の岩撫明氏らと会談した。訪印団からは、西田団長夫妻、稲村、太田両副団長、原日発常務、ナリン・アドバニ・コーディネーター、梶TCSジャパン社長、そして私・大滝が出席した。萩生田総領事との会談概要は次の通り。
・とてもハードなスケジュールで大勢の皆さんが訪印されたことを歓迎し、大変うれしく思う。マハラシュトラ州はインドでも人口が二番目に多い州だ。ムンバイ市は横浜市と姉妹都市関係にあり、横浜のネームバリューはかなり高い。ムンバイはインドの国を象徴している都市でもある。これからも両市間の関係を密にしていっていただきたいと願っている。
・今回のムンバイ訪問の目的は、インド商業会議所(IMC)と横浜インドセンター協議会との協力協定調印にあると伺っている。IMCは大きな経済団体であり、活発に活動を行なっている。協力を求める相手としては非常に良いと思っている。今日の調印式には私も出席させていただき挨拶をする。
・横浜市がムンバイ市にアジアの拠点としての海外事務所を設置することを検討していると聞いているが、これもタイミングがとてもいい。今、ムンバイ市は事務所の賃貸料が急速に上がっている。適当な事務所も数少なく見つけることが困難な状況だ。ロンドン市も事務所を探しているが難しいようだ。アジア拠点という以上、これから爆発的に増えてくる需要にどう応えるかが課題だ。
・先日、ムンバイ・フェスティバル「ゲート・オブ・インディア」が開催され、その中で日本をアピールする催しもあった。横浜からも市民の方が参加され、演技がとても好評だったことをお伝えしたい。
・インドはアジアの一員としての意識が強い一方、ヨーロッパや中近東が地理的には近い。アジアの仲間として日本には一般的に良い感情を持っている。イメージの良い国ではあるが、一面では「よく知らない」という事でもある。高い技術の国、美しい国という事はわかっても、インセンティブを感じていないと率直に思う。ビジネスだけではなく、一般の人々に「遠い国」になっていることを考えると、何か「動機づけ」を考えたらよいのではないか、と思っている。双方向の交流促進がとても大事だ。
・直行便も少ないし、まだまだ不便だ。一口に観光といっても一般のインド人には日本の物価は高い。インド人の観光は今シンガポールやタイに向いている。ただ中国・北京でのオリンピックに非常に注目している。「中国へ行った折に日本にも寄ろう」と思わせる何かを考えないといけないのでは。
・(ドイツがインドへの企業進出に懸命に取り組み、実績を挙げている――との西田団長のコメントに対して)日本には日本のやり方があると思う。韓国は家電製品等で勢いをつけていて、国家としての取り組みが積極的だと感じる。教育・学術交流の面でも、米国へのインド人留学生は約8万人といわれている。イギリスへは4万人。これに比べて日本には5〜600人だ。この面でもまだまだといわなければならないだろう。
 会談後、総領事らと記念撮影。その後市内のシャージャハナバードのマーケットに立ち寄って雰囲気だけを感じ取り、直ちにムンバイ市役所を訪問した。市長への面談を申し入れてあったが、先客のドイツからの訪問団と市長の会見が長引き、われわれ訪印団は次の日程への影響を考慮して、残念ながら市長面会を取りやめた。
 ホテル・ヒルトンタワーズに戻り、昼食をはさみながら、ボンベイ日本商工会(会長:奥井忠之伊藤忠ムンバイ支店長)の役員の皆さんと懇談。冒頭、奥井会長から訪印団を歓迎すると共に、目覚しい活動を展開している日本人会や商工会の動向を紹介する挨拶があった。

○訪横浜・神奈川インド代表団とインド商業会議所(IMC)との会合
(2月1日、IMCビル)

1)ミーティング及び協力協定調印の式次第
インド商業会議所のヒラチャンド・ホールで開催された、IMCと横浜インドセンター2008年度設立協議会との協力協定調印式およびインド・ビジネスセミナーは、午後5時より、『インド−日本 ビジネス協力:横浜における拡大するビジネス・チャンス』と銘うち連続して開催。モグレIMC事務局長の司会で開始されたプログラムは以下の通り。
・ギル・カリパラーニ IMC国際貿易&協力協定委員会委員長による歓迎の挨拶、引き続いてIMCの歴史及びその活動についてプレゼンテーション
・萩生田浩次 在ムンバイ日本総領事館総領事の挨拶
・大滝正雄 横浜市会議員の挨拶、及び長谷部亮 横浜企業経営支援財団(IDEC)課長によるプレゼンテーション
・太田嘉雄 横浜商工会議所副会頭によるプレゼンテーション
・西田義博 横浜インドセンター2008年度設立協議会副会長の挨拶
・スリ二バサン・ハリハラン「タタ・コンサルタンシー・サービシズco.」主任アドバイザーによるプレゼンテーション
・IMC及び「横浜インドセンター設立協議会」による協力協定調印式
IMC側           ギル・カリパラーニ 委員長
横浜インドセンター協議会側  西田義博 協議会副会長
・コタック IMC元会長の挨拶
・<質疑応答>
・P.N.モグレ IMC事務局長による閉会の挨拶

2)大滝市議による挨拶とプレゼンテーション概要
・協力協定調印式の席上において、横浜市を代表して挨拶出来る機会をいただき、感謝している。横浜市は人口363万人の日本第二位の都市である。わが国を代表する国際港を有し、古くからインドと貿易を通じて交流を深めてきた。
・特にムンバイ市と横浜市は、1965年以来の姉妹都市として、これまでも文化・藝術・スポーツなど、さまざまな分野において交流を深めてきた実績がある。最近ではまた、横浜市の中心部に、タタやウィプロといった、貴国を代表するIT企業のほか、自動車部品や製薬関係企業も立地し、インド企業の一大集積地とも言える様相を呈してきている。
・さらに横浜市は、インド企業の皆さんが一層進出しやすいビジネス環境を整えるため、インド系インターナショナルスクールを誘致した。その場所は元小学校だったところで、教室はもとよりグランド、体育館等の設備も利用していただける。現在は今年中の開校に向けた準備を進めているところだ。
・近年の貴国経済は、躍進というよりも衝撃という言葉がぴったりの成長を見せている。昨年決定されたデリー・ムンバイ間産業大動脈構想など、産業基盤も急速に充実しつつある。そうした貴国と一緒になり成長していく流れを描き出すことが、横浜市経済のみならず、日本経済のいっそうの飛躍・発展のために欠かすことが出来ないのではないかと、私は考えている。
・これから横浜のビジネス環境について、横浜企業経営支援財団の長谷部課長から紹介する。これを機にぜひ皆様に横浜への関心を高めていただき、横浜・インド間の新たな一頁が開かれるよう期待している。
 *続いて、IDECの長谷部課長からのプレゼンテーション。(内容はFICCI時と同じなので 省略する。)

3)太田嘉雄 横浜商工会議所副会頭のプレゼンテーション概要
・世界でいま最も活気のあるインド経済を、ビジネスの場で実際に動かしておられる皆様とお話をする機会を得て、アジアの一人の企業人としてとても嬉しい。横浜商工会議所を代表して、これから「横浜経済の展望と当商工会議所の役割について」紹介させていただく。
・横浜市の人口規模は363万人。東京を除く日本の主要都市の中で最大だ。市の経済規模は13兆円(1,209億ドル)に達する。これはOECD諸国の中では、ポルトガルやチェコといった欧州の一国にも肩を並べる大きさだ。
・20世紀は世界の工業化の歴史だったが、横浜市はいわば工業化の優等生として、日本の成長を支えてきた。明治の開国期に新たに設けられた横浜港が持つ高い貿易や物流の機能、また第二次世界大戦前は臨海部に、戦後は内陸部に展開した工業集積が、他に秀でた経済成長を横浜にもたらした。そして21世紀に入った今でも、横浜経済は新しい産業の力を取り込みながら成長の道を進んでいる。
・最近の横浜経済の大きな話題は、大規模な商業集積が相次いで展開していることだ。横浜経済の力強さは、経済規模が大きいことと同時に、伸び率も高いことだ。横浜が豊かな成長性に富んだ購買力を持つことから、ここ数年、市の北部を中心に大型のショッピングセンターが次々に開業した。これらの大規模商業集積は、かつての電機メーカーの大規模工場や自動車の物流拠点が姿を変えたものだ。市内外から多数の消費者を集めている。
・ITやバイオといった先端産業の立地も盛んだ。横浜には以前から電子・化学・薬品・食料品などの有力企業が立地していた。そして多数の技術者も存在している。横浜市の政策的誘導も相まって、次世代産業の展望も開けてきている。後ほどタタ・コンサルタンシーサービシズ社のハリハラン氏からプレゼンがあるが、すでに多くの外資系企業が横浜に新たな拠点を設け、ビジネス機会を広げつつある。
・横浜は海外の向けて多くの製品やサービス、情報を送り出しているが、いまや海外からも多くの製品や観光客、ビジネスマンが流入している。羽田空港の拡張・国際化でこのパイプは一段と太くなるであろう。
・横浜商工会議所は1880年の設立以来、市内企業の経済団体として当地の成長を支えてきた。国や地方自治体への要望、産業政策の提言等のほか、中小企業の成長のための資金調達・相談業務・情報提供なども大きな役割だ。市内大学と企業との情報交換や研究・事業開拓のコーディネートも目指している。
・海外企業と地域企業の連携も当所が力を入れている施策だ。横浜への進出に関して法務・税務・企業情報等を幅広く提供してきた。海外の商工会議所等から市内企業への研修生受け入れ事業も展開している。
・いよいよ2008年度には、「横浜インドセンター」が開設される。当所は同センターの業務支援を新年度の事業計画の柱に据えている。また2009年は横浜港が世界に開かれてから150年目に当たる。私達は「第二の開国」と称しているが、将来に亘って横浜市が、海外諸都市や企業と付き合いを深めていけるよう努めていきたい。
・今回のインドの経済団体との協定締結は、横浜が海外とのネットワークを広げるまたとない機会となった。皆様が横浜で新たなビジネスチャンスを見つけていただくことを、強く願っておりご連絡をお待ちしている。

4)西田義博 横浜インドセンター設立協議会副会長(訪印団・団長)の挨拶
 西田団長は「インドと横浜との関係並びに横浜インドセンターの機能について」と演題でスピーチ。その内容はFICCIにおける挨拶とほぼ同様なので省略する。

5)ムンバイ・ビジネスセミナーの概要
 冒頭の ギル・カリパラーニ IMC国際貿易&協力協定委員会委員長による歓迎の挨拶では、IMC100年の歴史とその活動成果についてふれると共に、先月11~12日にムンバイ市内で開催した「100周年記念行事」には、横浜市から野田由美子副市長らが日本進出企業の代表らと出席。「関係各国のプレゼンテーションにおいて横浜紹介のすばらしいスピーチをいただいた」と、感謝の言葉が述べられた。TCSのスリニバサン・ハリハラン氏は日本のIT産業とインドIT企業が日本で展開しているビジネス事情について説明。訪印団がTCS事務所の訪問でプレゼンを受けた内容にもふれるものだった。
 質疑応答では、インド側の出席者から「日本の情報関連企業はなぜもっと活発にインド投資をしないのか」とか「日本語や日本文化等を学べる学校をつくって欲しい」等の要望も出された。式典及びビジネスセミナー終了後、IMCビルの屋上テラスでビジネスミーティングがカクテル・パーティー形式で開催。遅い時間まで企業案内や業務マッチングに関する交渉などが、マン・ツー・マンで行なわれた。

6)解団式及び「結び」として
 IMCでの調印式並びにミーティングが一切終了した後、宿泊ホテル・ヒルトンタワーの一室に全員が集合して「解団式」を行った。今回の訪印団の日程は極めてハードだった。しかし健康を大きく害した人もなく、また一件の事故もなくすべての行程について意義深い成果を刻むことができた。横浜においては、まだ実体がない「横浜インドセンター」が、その理念と事業内容について施設立ち上げ前に、インドを代表する経済団体二つと協力協定が締結できたということは、極めて異例のことといわなければならない。それはまた、インド側の横浜・神奈川に対する信頼の証であり、今後の活動への期待を表すものともいえよう。
 今年中にはいよいよ「横浜インドセンター」が開設される。また横浜市はムンバイ市にアジアの経済拠点となる事務所を設置する。インド系インターナショナルスクールの開校に向けた準備も進むなど、必要なインフラ整備とその拡充にも力が注がれていく。横浜インドセンター設立協議会では、これから会員企業獲得や事務所開設に至る諸業務を確実に進めていかなければならない。今後も引き続き様々な困難が予想されるが、今回のインド訪問でもたらした団員間の熱意と団結が継続されていけば、多くの課題解決は容易なものと意を強くした次第である。

■ 議会等への提出報告書への添付資料
・訪インド神奈川 横浜代表団団員名簿(邦文)
・同名簿(英文)
・同名簿(英文リーフレット)
・インド商工会議所連合会でのミーティングプログラム(英文)
・インド商業会議所でのミーティングプログラム(英文)
・横浜インドセンター2008年度設立協議会―インド商工会議所連合会との協力協定調印文書コピー(英文)
・同文書(邦文)
・横浜インドセンター2008年度設立協議会―インド商業会議所との協力協定調印文書コピー(英文)
・同文書(邦文)
・横浜インドセンター設立趣意書(邦文)
・同文書(英文)
・同文書(英文リーフレット)
・横浜インドセンター2008年度設立協議会役員名簿(邦文)
・横浜インドセンター設立協議会ワーキンググループ委員名簿(邦文・英文)
・関連新聞掲載記事
| ootaki-masao | 海外視察レポート | 13:09 | comments(0) | - |
韓国・仁川広域市及びソウル特別市を訪問して
<海外出張報告>

大韓民国・仁川広域市およびソウル特別市訪問
◎日  程  平成18年7月7日(金)〜9日(日)
◎訪問都市  仁川広域市およびソウル特別市
◎招聘団体  (社)仁川国際親善文化交流協会、仁川観光公社
◎出席会議  仁川産業政策フォーラム
◎活動報告  以下に記述

はじめに
仁川国際親善文化交流協会 (朴仁春理事長)、仁川観光公社等の招きを受け、7月7日から9日までの日程で仁川市を訪問した。〆春の市長選挙で再選を果たし7月3日に就任式を行ったばかりの安相珠市長への表敬、◆嵜寮郢唆叛策フォーラム」での講演、9創僉Ψ从僉Υ儻分野における都市間交流への意見交換などが目的。
仁川市サイドから横浜市に対し、これまで再三にわたり「姉妹都市提携」の打診があったが、姉妹都市交流のあり方について検討し見直しを進めていた横浜市は、自らが議長都市である「シティ・ネット(CITY-NET)」への仁川市加盟を実現させたほかは、具体的な進展を見せていない。そうした中、本年6月に横浜市は自治体の国際都市交流のあり方として、「パートナーシップ都市間交流」のガイドラインを示し、その最初の交流提携が韓国の釜山広域市と結ばれた。そのことについて仁川市当局者から詳しい説明を求める声が出ていた。私の訪問は都市間交流に関しては非公式ながらその事情説明もかねていた。

平成18年7月7日 (2006.0707)
 
◆仁川市庁舎で安相珠市長と両都市間の新たな交流で話し合い
 会見の冒頭に私は、先の市長選挙において再選を果たし、今月3日に就任式を終えたばかりの安市長にお祝いの言葉を述べた。「私の当選と二期目の市長就任に対し、暖かな激励とお祝いの言葉をいただき、ありがとうございます」と述べた市長は、市政二期目にあたる自らの政策を述べつつ、横浜市との新たな交流発展に大きな期待を寄せた。横浜市と仁川市は首都に近い都市であること、港湾都市・物流都市として国の経済発展に重要な役割りを担っていること、などの点で共通点が多い都市である。仁川市では、2009年に「世界都市EXPO」を計画中であることを紹介した市長は、同じ年に「開港150周年」を迎える横浜市との交流について、「お互いの事業を成功させるために協力し合い、次への大きな発展につなげましょう」と呼びかけた。市長就任直後の政策として打ち出した「世界都市EXPO」は、昨日に方針決定したばかりとのことで、ホット情報そのものであったことを会見後に側近から知らされた。

◆ 新都市開発の目玉――国際ビジネスの拠点都市「松島(ソンド)地区」を視察
 仁川を国際ビジネスの前進基地として選定した韓国政府は、「経済自由区域」の指定と積極的な支援を行なって、新たな先端都市づくりに着手している。仁川市の「ヨンジョン(永宋)」、「ソンド(松島)」、「チョンラ」の三地区では、埋立て造成・インフラ整備・都市開発などがダイナミックに進められていた。私は「ソンド地区」を訪れ、経済自由区域庁舎がある「ゲッポル・テクノタワー」で当局者らの説明を受けたあと地域内を車で見て回った。IT都市としてユビキタスシティをめざすソンド地区では、すでにインテリジェントビルや高層住宅街が林立しているほか、広大な都市公園の建設、大水深バースを備えた港湾施設整備も整然と進められていた。2020年の完成を目指しているとのこと。

◆市庁舎で港湾当局者や街づくりの専門家らと懇談
 港湾空港物流局長室で同局のユン・ヤン・ジュン課長ら港湾・物流を担当する当局者や、仁川市の都市計画審議会委員などを務めるチョイ・ジョン・チョル氏(経営学博士)などと懇談。横浜市の港湾政策や今後の計画などについて質問が相次ぐとともに、すでに横浜港を何度も視察して感じた点や経験や仁川港が抱える課題などを率直に述べた。世界第四位のコンテナ港である釜山港と並ぶ物流港をめざして、松島(ソンド)に大水深バースが建設されている仁川。近代的な国際空港を抱え、巨大なコンテナ港と高速道路・橋の建設によって、北東アジア圏域をターゲットにした陸・海・空の一大物流基地化を進めているだけに、しばらくはその動向から目を離すことは出来ないだろう。

平成18年7月8日 (2006.07.08)

「仁川産業政策フォーラム」で講演。また経済港湾等の実務者や学識者とも懇談

◆横浜港発展の歴史、港湾整備の現状と課題などをテーマに講演
 「港湾の発展と都市開発の変化――横浜市の事例を中心として」と題された講演会は、仁川市内のロイヤルホテル迎賓館で開催。仁川市からは洪俊浩港湾空港物流局長ら港湾・経済観光・都市整備関係の実務者、仁川大学の鄭工学博士ら学識者、京仁海運航空蠅陵社長ら船会社・荷役・物流関係の団体・企業責任者、港湾労働団体役員、マスコミ関係など約30人が参加した。
 私は、ヽ港150周年を迎える横浜港の歴史 港湾整備と横浜市の街づくり 9餾殃流の動向と横浜港の現状 す創兩鞍計画と今後の課題 ゲI融圓隆儻、企業誘致の施策、などについて約1時間講演。その後の質疑では、南本牧埠頭で進む高規格コンテナターミナルの整備方針、横浜港整備と連動した観光戦略、横浜港におけるコスト低減策、仁川と横浜の港を中心にした交流について、等など多彩で活発な質問が相次いだ。横浜市を視察したことのある港湾専門家は、横浜港の美しさと優れた機能性を高く評価。釜山港に比肩する港湾づくりを目指すため、横浜港のノウハウをハード・ソフト両面から学ぶべきだと、参加者に訴えていたことが印象的だった。私には横浜の都市づくり・港湾整備を学ぶための活発な交流に対し、そのアテンドやコーディネートを依頼された。
*この日の講演は7月10日付けの「仁川日報」で詳報された。掲載紙のコピー及び翻訳文は別添資料を参照。

◆学識者らと文化・教育、大学間交流などでミーティング
 午後の日程では、フォーラムを主催しコーディネーターを務めた崔正徹経営学博士(仁川市都市計画審議会委員)、仁荷大学法科大学長の金敏培先生、仁川大学教授で工学博士の鄭科溶先生、仁川発展研究院都市計画研究室の金龍河先生(工学博士)ら、学識者とミーティング。それぞれの専門分野を通じての意見交換のあと、横浜市の高等教育への取り組みや文化・芸術に関する施策などについて質問を受けた。新しい体制となった横浜市立大学との交流については、当局者との話し合いのうえ具体的な検討を約した。

◆東区の「水道局山博物館(通称=タルトンネ博物館)」と中華街を視察
 飲料用の配水池が建設されたことから付けられた水道局山。1960年代の経済開発過程において、都市に人口が集中し住宅に困窮した人々が、この山すそや山の背・斜面などに粗末な材料で家々をつくり街を形成した。「タルトンネ」は、その街を叙情的に表現した呼称。この山一帯が大規模開発され団地群に変貌したことから、豊かな時代になっても、「タルトンネ」の人情味溢れた生活を忘れないようにと、当時の「生活を再現した博物館」が山頂に出来ている。日本では「昭和の時代」。私の生まれた新潟の山村の生活を見ているようで、懐かしさで胸がいっぱいになった。
仁川広域市が現在進めている「中華街」と「歴史的建築物」の再生・整備にも注目した。中区には「中華街」があり区当局と仁川広域市が、新たな観光地とすることに力を注いでいる。2年前に私が訪問した際中区の区庁長自らが案内してくださったが、そのときは街路や門柱などの整備にとどまっていた。わずか2年で見違えるほど美しく賑やかな街並みに変わっていたことに驚いた。
歴史を大切にし街づくりの中にそれを生かす施策も、横浜市の事例等を参考に重要視しているとのことだった。中華街に隣接した街区にある中区庁舎は旧日本総領事館で、1883年に作られたものである。その一帯に残る銀行などの歴史的建造物や遺構は、ほとんどが日本租界時代に創建された。いずれも石造りの重厚な建築群であり、趣のある日本風建築による住宅等も散在する。市の文化財にも指定され、中華街とともに早くも旅行者や学生たち・外国人等の人気スポットになっている。この日もツアーを組んで大勢が見学していた。案内役を務めているのは市の職員と聞いたが、ボランティア等の民間ガイドの育成もすでに始めている。私は仁川市中区の当局者や観光公社の職員に、横浜市の中区と仁川市中区との「中区」同士の『歴史的建造物を生かした街づくり』交流の可能性を打診してみた。民間団体等の力で歴史的建造物の保存・調査を行なったり、中華街、元町に関する資料発掘など多彩な活動が日常的に行なわれている横浜市の実例は、必ずや仁川市でも大きな成果をもたらすに違いないと思ったからである。

平成18年7月9日 (2006.07.09)

金浦空港への帰路、わずかな時間を割き私からお願いをして二か所に立ち寄った。ソウル市立美術館で開催中の「ピカソ展」の鑑賞と、都心のビル街にある高架道路を撤去して元の「清渓川」を復元した事業の視察である。特に、「人に優しい街づくり」を可能な限り進めたいと念願している私は、都心部の環境再生に高架道路を撤去したという事例紹介を書物で知って、深い感動と好奇心に駆られていたからである。

◆ソウル市立美術館で「ピカソ展」を鑑賞
 2002年のFIFAワールドカップのとき、真っ赤なジャージを着た応援団でぎっしりと埋め尽くされた市庁舎前広場。歴史的建築物でもあるソウル市庁舎に間近な小高い場所に市美術館がある。元法院だった建物が美術館に改装されたこれも歴史をとどめた建築だ。大型の企画展示を相次いで開催して人気を呼び、これまでに開催したシャガール展、マチス展はいずれも60万人を越える入場者だったとのこと。今回のピカソ展を企画・推進した一人である、SMASH社の金代表理事らの案内で、ピカソの初期・青の時代の作品から、晩年の版画シリーズまで約120点を堪能することが出来た。

◆自動車専用の高架道路を撤去し、都心に清流を取り戻した清渓川の再生
 昨年の10月1日にオープンしたソウル市の「清渓川」再生事業。もともと都心部を流れる河川だった空間が1958年に河川が廃止され、自動車専用高架道路が建設された。自動車の急増に対応し都心部へのアクセス向上を図るために作られたものだったが、交通渋滞をさらに増幅させ、環境悪化もいっそう進んだことから、近年はソウルでも「自動車優先社会」への反省の声が大きくなっていた。
 そうした中、先代の李明博市長は多くの反対を押し切って、都心の2km以上の高架道路を廃止し昔の河川を再生する施策を推進。漢江から水を引き、由緒ある「廣通橋」も復元した。都市河川のプロムナードには水性植物も植栽されたビオトープも。豊かな水量に加えて自動車騒音のない大空間が戻ったことから市民も大喜びで、いま新たな憩いの場所として連日大勢の人々が訪れている。都心の温度が2〜3度下がったとも聞いた。
 わが国では東京の「日本橋」上部の高速道路移築問題が取り上げられている。ソウル市のようにスピーディーに実現するとは思えないが、やはり市民(都民)の声を大きくしていく以外に、現状を変えることはそうたやすいことではない。すんだ水に足をたらして歓声を上げる親子や、たくさんの小魚が泳いでいる「清渓川」の畔を歩きながら、政治とはこういうところでこそ力を発揮すべきものなのだと、爽やかな感動に襲われるとともに、行動への自省と決意の念が沸々とわいてくるのを覚えた。

<追記>
○ 報道記事 / 仁川日報 2006.7.10付
・添付資料参照
  新聞報道記事のコピーおよび翻訳文
○ 提供資料 / 大滝が保存
・Incheon Free Economic Zone ( 機F.E.Z ) / 仁川経済自由区域
 日本語版の紹介冊子
・同 上 / 日本語版&韓国語版パンフレット
・Incheon Tourism Organization 版 『hub―Incheon』
・Tourist Souvenir Contest 『COLLECTION』
・PICASSO The great Century 2006.5.20-9.3 SEOUL MUSEUM OF   ART
・YOUNG-SOOK OH 画集
・『中区の歴史的建築物』 仁川広域市中区版
 マップつき解説書
・その他/仁川広域市地図・行政施策パンフなど
| ootakimasao | 海外視察レポート | 16:48 | - | - |
横浜市会・北南米視察団<海外視察報告書>
ブラジル外務省でのミーティング
■ITTOおよびJICAのプロジェクトに見る地球環境保護施策・国際貢献活動等の実情視察と、北南米諸都市における芸術文化を基軸にした街づくり施策等について
団長:大滝正雄

 この報告書は、市会事務局に提出した「報告書」の抜粋版であることをご承知ください。なお議会提出報告書は情報開示が可能です。
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| ootakimasao | 海外視察レポート | 13:00 | - | - |
中国残留孤児問題の解決急げ!<神奈川新聞・投稿記事>
●中国残留孤児政策の拡充急げ
   横浜市会議員 大滝正雄 

 中国残留孤児の集団訪日調査は、国交回復の9年後、1981年から始まり99年に終了した。永住帰国を果たした孤児は約2千5百人。やっとの思いで帰国した孤児たちだが、言葉の壁や自身の高齢化が障害となり、就職難、低賃金労働、不十分な社会保障などで「自立」とは程遠い現状にある。厚生労働省の99年調査では、生活保護受給者が孤児全体の65%、就労率は29.2%だったが、深刻の度は更に進んでいるという。
 中国養父母の高齢化も一段と進み、生存者は200人ほど。親孝行したくても生保受給者の海外旅行は事実上出来ない。「人間らしく生きるための保障を」と、訴える孤児たちは、国家賠償請求訴訟を全国十四地域で提訴。国は孤児の早期帰国と自立支援の義務を怠った、という理由である。原告の孤児は2000人(5月末現在)を超え、その一割強は神奈川在住だ。帰国者の8割。この数が孤児の生活の厳しさと、将来不安を十分に物語る。
 集団訪日調査が盛んな頃、彼らこそ真の「日中友好の架け橋」と期待し歓迎された。孤児の幸せは養父母の幸せでもあり、日中両国の友好増進に直結する政治課題だ。最初の判決は大阪地裁で7月6日。注視したい。

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中国残留孤児問題訪中調査団に参加して<公明新聞・投稿手記>
●中国残留孤児政策の拡充を
  横浜市会議員 大滝正雄 

 4月4日から12日まで、中国養父母謝恩の会が主催した「残留孤児問題調査訪中団」の一員として、北京と東北三省の省都であるハルビン、長春、瀋陽の各市を訪れた。団の構成は帰国孤児三人と弁護士らを含めた十一人。目的は、〕槁稱譴里見舞いと聴き取りを行うこと∋栂姥瓢対策を所掌した中国当局者との会談戦後問題を研究する歴史学者と意見交換、などである。
 日本政府による残留孤児の集団訪日調査が始まったのは、日中国交回復から9年後の1981年であった。99年には国の調査は終了し、永住帰国を果たした孤児は約2千5百人。数多い「戦後問題」の一つが解決したかに見えた。しかし孤児問題は今「自立」と「人権」という、新たな課題に直面している。
 やっとの思いで帰国した孤児たちは、言葉の壁や自身の高齢化が障害となり就職難、低賃金労働、不十分な社会保障等で「自立」とは程遠い状態だ。厚生労働省の99年調査でも、生活保護受給者が孤児全体の65%超。就労率は29.2%でしかない。
 中国外交部(外務省)の朱桃英領事司副司長は「孤児問題の適切な解決は中国政府にとっても重要」と訪問団に強調した上で、帰国した孤児に「養父母のために親孝行するよう伝えて」とも述べた。だが生保受給者の場合、海外渡航は難しく、親孝行したくても出来ない事情がある。
 中国養父母の高齢化も一段と進む。生存は200人ほどと聞いた。「自分が生きることさえ困難な時代に、日本人の子どもを育てた養母は、孤児が日本に帰ってから、孤老のままだ」。孤児問題を追い続けている遼寧省社会科学院の張志坤氏は具体例をあげた。「出来れば日本と中国の間を鳥のように自由に行き来したい‥」。一人の養母の言葉を、氏は『常回家看々』という詩句と共に紹介した。かけがえない家族にいつも帰り集うこと、との意味だ。
 「親孝行したい」「人間らしく生きるための社会保障を」と、訴える孤児たちは、02年12月、国家賠償請求訴訟を東京地裁へ提訴。国は孤児の早期帰国と自立支援の義務を怠った、という理由である。すでに全国十四地域において1948人(5月22日現在)の孤児が原告となっている。帰国者の8割。この数が、孤児たちの生活の厳しさと、将来不安を十分に物語っているといえよう。
 公明党は、03年10月に「中国残留孤児に対して救済措置を求める議員連盟」(座長・高野博師参議院議員)を設立。帰国孤児の多い東京と神奈川など首都圏で、11万3千余人の署名も得た。昨年12月14日には、孤児代表と浜四津、松両参議院議員らが尾辻秀久厚労相と会い、署名簿の提出と孤児政策拡充を強く申し入れている。
 戦後の長期間、余儀なく半生を中国で生きてきた残留孤児たちだ。日本人である彼らが帰国しても、ふさわしい支援が届かず、将来不安に加え、人権さえ侵されかねない「冷たい祖国」であってはならないと思う。集団訪日調査が盛んな頃、彼らは真の「日中友好の架け橋」と期待され、歓迎を受けた。「孤児問題の本質に日本人がもっと関心を寄せてほしい」と、前述の張氏は強調する。孤児の幸せは、中国養父母の幸せであり、両国の友好増進にも直結する政治課題だ。7人の養母を始め多くの関係者と語らい、それを実感した訪中であった。
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韓国随筆家協会が横浜市でシンポ<歓迎の挨拶>
●歓迎の挨拶

 第11回 「韓国随筆家協会の海外シンポジュウム」が、新緑いっぱいの横浜市で開催されましたことを感謝し、横浜市と横浜市議会を代表して、心から皆様を歓迎申し上げます。ようこそ横浜へおいでくださいました。
 冒頭に、横浜市の中田宏市長からメッセージを預かってまいりましたので、それをご紹介申し上げます。<メッセージを読み上げる>
 伝統ある「韓国随筆家協会」に所属する、大勢の先生方を、わが国が世界に向けて初めて開いた港・横浜港をシンボルとする本市にお迎えすることが出来て、本当に嬉しく思います。皆さまがおいでになっているこの建物も、わが国の重要文化財に指定されておりまして、横浜開港50周年を記念し、市民の寄付によって1917年に完成した、由緒ある歴史的建造物です。皆様の会合に相応しい場所として私が選ばせてもらいました。
 横浜市の歴史はまだ150年ほどしかたっていませんが、わが国第二番目の都市として発展をみせており、人口も360万人を数えています。貴国の仁川広域市には、私は何度も訪問させていただいておりますが、ソウル市と仁川市、日本の東京都と横浜市の関係は、非常に良く似ていて、いつもそれが話題に上りますし、今日では横浜と仁川は、行政的にも兄弟のようなお付き合いをさせていただいているところでございます。
 ところで、今回のシンポジゥムは、日韓の関係において「歴史認識」に端を発した様々な問題が噴出した時期と重なりました。一時は延期または中止などのお話しも出たと伺いましたが、このような時こそ、「文化を基軸とした交流が大事」として、今日の会議を断行してくださいました。幹部の皆様のその英断と深いお心に、敬意を表しますと共に、私共はこの事実を決して忘れてはならないと思っております。
 2002年に日韓共催で、アジア初のワールドカップサッカー大会を成功させたように、どのような困難があっても、「誠実」と「信頼」をもとに、建設的な話し合いの持続によって、解決しないことはないと信じるものでございます。
 今年は「日韓友情年」で、2月に東京で行なわれた開会式には私も出席いたしました。この意義ある年に、日本と韓国の大勢の先生方・関係者が、心を込めて開催してくださったシンポジゥムでございます。大成功裡に閉じることが出来ますよう、そして、日韓の友好交流があらゆる方面で更に進展しますように、祈念申し上げまして、私の歓迎のご挨拶と致します。
ありがとうございました。


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残留孤児調査訪中団の日程別報告書<対話と調査の概要>
■日程ごとの活動概要■

4月3日(日)
17:15/成田発――北京着/20:05  NH955便

4月4日(月)
● 中華人民共和国外交部表敬訪問
中華人民共和国外交部 外交部領事司副司長  朱 桃 英 氏
・朱氏は「残留孤児・婦人問題の適切な解決は日本のみならず中国政府にとっても とても大事なこと」「日本に帰国した孤児や婦人に、中国養父母のために親孝行 するよう、是非伝えてほしい」等と述べた。
● 中国社会科学院近代歴史研究所訪問
中国社会科学院・近代史研究所 中国社会科学院教授  歩 平 氏
・日中韓三国の専門家による、共通の歴史認識に基づく歴史教科書づくりの中国側 責任者を務める歩氏は、「日本・中国・韓国=三国共同編集・東アジアの近現代 史」が、本年5月に三カ国同時に出版され、一応の成果をみて満足している」  (日本の出版社は「廣文研」)。また、「中日間の諸問題に関する研究センター がないので、新たに『中日間歴史研究センター』を本院の研究所の中心機関とし て作りたいと考えている」等の見解が。この他「旧日本軍の遺棄化学兵器」問題 についても話し合い、氏の近著「日本侵華戦争時期的化学戦(社会科学文献出版 社刊)」を頂戴した。
● 中共中央対外連絡部訪問
中央対外連絡部アジア二局日本処処長  林  麗 氏

4月5日(月)
● 黒龍江省人民政府表敬
黒龍江省人民政府外事弁公室副主任
同省人民対外友好協会副会長  趙 爾 力 氏
同省人民政府外事弁公室日本処 対外友好協会副所長  丹 碩 氏
・会見に臨んだ趙氏らは「中国残留孤児問題の調査で訪問した皆様を歓迎する。ま た養父母とも面会する意義のある訪中と敬意を表したい」等と述べ、基礎的デー タも示された。
・同省政府での挨拶後、旧ロシア租界付近の視察および旧駐ハルビン・ソヴィエト 連邦共和国総領事館跡(現映画撮影所等)や、中央大街(旧ロシア租界時代の名 残りを強く残す石畳の大通り、商店街)と松花江を視察した。

4月6日(火)
● 残留孤児の養母宅を訪問
孤児帰国者・山下稔夫(中国名:張広信)氏の養母宅を訪問
黒龍江省ハルビン市道外区紅河小区701−5−203 謝 桂 琴 さん
・謝さんは1925年生まれ、79歳。張さんは1943年1月22日生まれ。6 2歳。夫人と共に東京都足立区在住。定年退職しているが公的年金はなし。
● 黒龍江省公安庁を表敬訪問
黒龍江省公安庁 出入境外国人管理処処長  王 順 来 氏
・戦後から一貫して公安庁に勤務し、残留婦人・孤児問題の実務に関わってきた王 氏は、「中国政府は70年代の終わり頃、『民政』『公安』『財務』『外事』の 4つの部署が、人事や予算の措置を伴って残留孤児・婦人問題の専門組織を作っ ていた。少なくとも中国政府は、孤児たちの(調査や日本への帰国等のために) 150万元以上支出した」「中国政府としては希望する孤児・婦人についてはす べて日本へ帰国させる方針を早くから持っていたが、なかなか帰国が実現しなか った理由の一つは、日本政府がビザを発給しなかったからだと思う。中国政府は やむを得ず『第三跳板(第三国を経由すること)』で出国させるしかなかった」 等と、核心に触れる証言が相次いだ。

4月7日(水)
● 偽満皇宮博物院を視察
・中国清朝第10代の皇帝・愛新覚羅溥儀及び皇后・婉容らが過ごした皇宮。20 世紀初頭に建てられて元は吉黒権運局本部だったところを、1932年満州国成 立後にここを宮殿とした。緝煕楼は詩経の中の「時々刻々王朝の祖業の回復を忘 れず」という意味にちなんで宮殿に命名された。
・1991年の「9.18事変」60周年を契機に、中国各地で反戦・平和と歴史 教育のための大型展覧会が開催され今日にいたっている。それに併せるかたちで 中国各地域の資料館、博物館等の整備が促進された。当院の参観は二回目だった が、前回に比べ建物・陳列文物、説明文や説明員の配置にまで、徹底した気配り が行なわれていると感じた。
● 吉林省人民政府の歓迎宴
吉林省人民政府外事弁公室副主任 王 占 武 氏ら
・王副主任は挨拶の中で「残留孤児問題は日本軍国主義が生んだ罪科の一つ。孤児 を支援する皆さんの活動を理解し支持する。吉林省は東北三省の中でも最も早く から孤児・婦人の帰国対策に取り組んでおり、その実績も多い。現在はほぼ、解 決の方向に向かっていると思う」等と述べた。

4月8日(木)
● 吉林省公安庁を表敬訪問
吉林省公安庁副庁長室 公安庁副庁長 鄭 玉 良 氏
・来日経験も豊富で、お会いするたびに尊敬の念を深くする鄭氏。私共の来庁で全 ての会議や予定をキャンセルしたことを後で知った。氏は心から歓迎の意を表し つつ「30年代から40年代にかけて、日本軍国主義者は中国侵略により中日人 民に多大な災難を与えた。中国人民はこれを永久に忘れることが出来ない」「現 在の中日関係は安定しているが、時には中国にとって不愉快なこともある。例え ば小泉首相の靖国神社参拝などだ。日本は歴史の教訓を学び、(中国からみて) 不愉快なことをこれ以上繰り返さないようにしてほしい」等と述べた。残留孤児 対策などについては調査に最大限の協力を約束していただいた。
● 治安警察総隊の霍隊長を表敬
吉林省公安庁治安警察総隊隊長  霍 云 成 氏
・霍氏とは、私が長春市で出版記念会を催していただいた折、1997年に面会。 当時は公安庁外事弁公室に勤務しておられ残留孤児問題を担当していた。200 3年に訪日の際、東京の宿舎で再会。氏より篆刻印と鄭板橋の書画(複製)を贈 られた。昼食を共にしながら懇談した。
・「残留孤児」関係の仕事に20以上携わった氏は、「孤児たちの訪日調査につい て70年代初めから開始することは、中国側からの事情をいえば問題なく可能だ った。ただ日本側からの要請がなかっただけだ。文化大革命は孤児の調査・帰国 とは直接関係がなかったと思う」と、日本政府の弁明と相違した見解を述べた。
● 中日友好楼で養父母調査
三班の体制で「中日友好楼」の養父母宅を訪れ聞き取り調査
● 長春市人民政府を表敬
長春市人民政府外事弁公室 アジア・アフリカ処処長 段 華 旭 氏 
・日本語が得意な段氏は「中日間では最近、「歴史認識」の問題でよくない感情が 芽生えてきている。日本の政治指導者の発言に中国の若者は敏感だ。良い関係に なるように双方で努力しなければならない」と。また私から横浜市が議長都市で ある「アジア太平洋都市間協力ネットワーク(CITYNET)」へ会員都市として参 加を呼びかけたことに対し、「市の幹部と協議してご返事したい」と答えた。
● 吉林大學を訪問
吉林大學外国語学院副院長 中国日本語教学研究会秘書長 周 異 夫 教授
・周先生は、私の招きにより2000年9月に横浜市立大学の客員研究員として来 浜し、現在、横浜市立大学客員教授。
・大学構内を周先生のご案内で回った後、先生は「吉林大學は中国における大学改 革のモデル校に指定されており、自主改革を厳しく問われ続けている。学生によ る教授陣への評価等も導入し、教授という肩書きさえ業績評価基準と審査によっ て、降格、剥奪など厳しい結果も出ている」と、改革への厳しい取組みの現状が 披瀝された。
・「機会を見てわが学院において学生との懇談や講義もお願いしたい。大滝さんの 行なってきた『戦後問題』の現場からの告発は、歴史認識を共有する意味からも 意義があると考えている」と、本学への再訪を促された。

4月9日(金)
 ● 松河江と樹氷の街・吉林市を訪問
吉林市委員会組総部副部長 邸 杰 欣 氏
・邸氏は2003年に吉林省公安庁の霍氏らが訪日した折に同行。横浜で初めてお 会いした。同氏らと「吉林市隕石博物館」などを視察。これまでに地球上で発見 された内の最大隕石(約1,100kg)がここに展示されている。展示品の中 で三番目に大きい隕石に、特別のはからいで触ることができた。
・松河江と豊満ダムを見学。旧日本軍が中国人民を使役し1945年に完成した水 利ダム。強制的に労働にかり出された中国人は数万人といわれ、死亡した中国人 民の「万人抗」も近くにある。そこは今、歴史教育の重要な拠点施設に。現代中 国の生活や産業を支えている基本インフラも、悲惨な時代を証言する歴史的建造 物であることに複雑な感慨を覚える。
・1987年に設立し、横浜市が会長都市をつとめる「アジア太平洋都市間協力ネ ットワーク(CITYNET)」について、中国語版の資料を持参し参加を呼びかけ  た。
 ● 吉林省公安庁の鄭玉良副庁長の歓迎宴
吉林省公安庁迎賓館にて。当方の出席者は菅原団長、大滝秘書長、福山・本間弁護士、綱島通訳。

4月10日(土)
 ● 瀋陽市・養父母の聞き取り調査
瀋陽市内で〕槁稱譴諒垢取り調査と九・一八歴史博物館の視察・資料調査
●「9.18」歴史博物館を視察
・新瀋陽駅の近く大東区望花南街にある「9.18」歴史博物館で、残留孤児・婦 人に関する資料を調査。9・18事変(柳条溝事件)勃発60周年を記念して建 設された施設で、その後増築などを経て1999年8月18日にオープン。本館 には写真類800点、文物・資料500点が展示されている。
・中国各地に展開されている愛国主義教育と国防教育の東北地方における拠点施設 として重要な役割を担っている。館の最終章には「残留孤児」に関するコーナ  ー。日本の民間団体が1999年8月20日に建立・贈呈した「中国養父母感謝 碑」のブロンズ彫刻像が設置されている。
・記念館の視察後、調査団に同行した中村美智子さんの養母宅を訪問。聞き取り調 査の菅原団長、田場弁護士らと合流。調査後「私も日本人です」と歩み寄ってき た婦人がいた。このような人がこの団地には他にもいるとの情報もある。

4月11日(月)
 ● 遼寧省公安庁を表敬
遼寧省公安庁出入境管理処外管科科長  張 斌 氏
 ● 瀋陽故宮博物院を視察
・世界遺産に指定された瀋陽故宮は、中国三大故宮(北京故宮、吉林偽満皇、瀋陽 故宮)の一つで、残された故宮としては最古の歴史遺産。1625年にヌルハチ 皇帝が清王朝を創設。太祖ヌルハチと太宗ホンタイジが、北京に遷都するまでの 期間瀋陽に皇宮が置かれた。約6万平方メートルの敷地に13年かけて100も の建物が作られたという。
 ● 遼寧省人民政府を表敬訪問
遼寧省人民政府外事弁公室 外事弁公室副主任  趙 建 国 氏
アジア処副処長  呉 鉄 人 氏
・神奈川県と遼寧省は姉妹都市を提携、趙氏も来県している。氏は孤児問題にも強 い関心を持っていて見解を率直に語った。「孤児達は、一度は祖国から捨てられ た。その子らを中国人がわが子として育てた。日本政府は自分の国の子供をこれ からどう幸せにするか、それが政治の仕事だと思う。昔の不愉快な時代を乗り越 え、彼らを温かく迎え入れ、生活を守ってあげるべきだ。それは日本政府以外に 誰も出来ない」と。
・「孤児問題をうまく解決していかないと、それがかえって両国間の新たな問題に 発展する。世界も注目している。日本人自体に向けられた問題だと思う。いま日 本政府が行なっている養父母の招待事業には感謝している。皆さんのように養父 母に感謝する民間団体が謝恩のために訪中することに加え、政府認定の団体が公 式に養父母を見舞うような事業があれば、もっと大きな意義があるのではない  か」とも。
 ● 歴史学者・張氏と会談
遼寧省社会科学院歴史所   張 志 坤 氏
     同        関 亜 新 氏
・張氏からは中国の公的機関がまとめた、貴重なデータ類の提供が訪中団に行われ た。長期間にわたる研究成果を、関氏と共に淡々と語る張氏。「昨年暮れにNHK で放映された記録ドキュメンタリーは、我々の提供した資料にもとづいて構成さ れた。私達が積極的に素材を提供した理由は、残留孤児の問題に日本人自身がも っと関心を寄せてほしいからだ。かつて中国の養父母は大変困難な時代に孤児を 自分の子供として育て上げた。その孤児が日本に帰国した今、孤老になってしま った」と。
・同氏はまた、本調査団の日常活動を高く評価しつつ「日本政府より民間団体のほ うが、最も強い関心を持って活動してきた。我々の研究でわかったのは、日本政 府は民間団体の仕事・活動・研究を通して、孤児に関する政策を作ってきたとい うことだ。日本の民間団体の業績は絶大なものだ」と述べた。

4月12日(火)
13:25/瀋陽――東京成田/17:35  NH926便
帰国。
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中国残留孤児問題訪中調査団に参加して
●「中国残留孤児問題訪中調査団」は、全国で約2000人の帰国孤児たちたちが政府に対して起こしている国賠訴訟に関して、その諸資料を中国側で同問題解決にあたってきた関係者等から聴取するために結団されました。同団の秘書長として精力的な調査活動を行い、帰国後、それらは「京都地裁」での裁判において活用されました。
 
○目的と課題
 日中国交回復の後、1981年から中国残留孤児・婦人に対する国(厚生省=当時)による訪日調査が開始されました。現在は一部の孤児を除いて、ほぼ帰国・定住が完了しています。しかし、孤児やその家族は、帰国を果たしても言葉の壁や生活習慣などから就労も思うに任せず、低賃金労働、不十分な社会保障に甘んじ、定年退職後はその約70%が生活保護受給者となっています。中国養父母を見舞うための里帰りさえ制度の壁で出来ず、日本の孤児達と中国の養父母の関係が崩れ始めているという現状も見られます。
 こうした中で、残留孤児らは日本政府に対し「中国孤児政策の拡充」を求める全国規模の署名や申入れを行ない、私もそれらの活動に協力してきました。また全国14地域において約2,000人の帰国孤児が国家賠償訴訟を起こし、東京・大阪は3月に結審。7月には大阪地裁で最初の判決が下されました。
 今回の訪中は、「中国養父母謝恩の会」が主催し、孤児3人と弁護士5人ら12名で構成。私は調査団の秘書長として、|羚颪砲い詬槁稱譴燭舛鮓舞うと共に要望等の聞き取り調査を行うこと 中国東北三省の省都を訪ね「残留孤児」対策に取り組んだ当局の担当者から実情を聴取すること C羚颪領鮖乏惻堙と会い戦争被害及び戦後問題の解決について率直に意見交換すること づ垰毀簑蠅硫魴茵∩蠍瀝解の促進及び青少年交流等のため、横浜市が会長都市であるCITYNETへの参加の勧誘など、現地での交渉・調整役を担うとともに精力的な活動を行いました。

 調査期間/2005年4月3日〜4月12日までの10日間

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仁川市総合文化会館資料展示室の開設式典に出席
 大韓民国の金大中前大統領による日本文化の受け入れ容認政策を受け、日本と韓国との文化・芸術交流は急速に進展しました。とりわけ、日韓共催の2002FIFAワールドカップサッカー大会を機に、文化・教育・スポーツ・学術等各界の有機的な交流は目を見張るものがあり、わが国には、いわゆる「韓流ブーム」が巻き起こっています。
 私は、2002年8月、韓国美術家連盟の方々の要請を受け、約40年間にわたって収集してきた美術図書やカタログ類、約700冊を仁川市に寄贈しました。それ以降も韓国を訪問するたびに図書贈呈を重ね、今回の訪問で4次の贈呈となりました。
 このたび私は、仁川広域市の安相洙市長から招待を受け、仁川市総合文化芸術会館内に資料展示・閲覧室が新たに設けられ、その中に私からの寄贈図書も公開展示されることになった旨の連絡を受けました。資料室の開設式と祝賀会への出席要請に対し、そのご好意にお答えするために、大韓民国仁川広域市を訪問してきました。以下はその報告です。

●日程    2005年1月31日(月)〜2月2日(水)
●訪問都市  大韓民国仁川広域市
●訪問目的  1)私が仁川市へ寄贈した美術図書等の展示閲覧室の開設式典に出
         席のため
       2)仁川経済自由区域・松島地域と広報館の視察
       3)仁川市史跡保存地区および歴史的建造物保存地区の視察
       4)黄興哲画伯の横浜での美術展協議
●詳細日程  a.1月初旬、仁川市長より招待状が届く
       b.1月31日、「KAL6709」便で金浦空港へ
         金東行政副市長による歓迎晩餐会
       c.2月1日、経済自由区域の松島広報館を視察。
11時に仁川日報社でインタビュウ取材。
13時、安市長と会見。
14時、中区庁舎で金区庁長と会見。新任の黄興九副区庁長を         表敬。17時、総合文化芸術会館にて資料保存閲覧室の開設式         と祝賀会に出席。私より第4次の図書贈呈。美術図書・図録類         の書架披露。
       d.金中区庁長および金基成中区議会議長による歓迎晩餐会。その         後中区にある中華街、旧日本軍が建設した銀行などの史跡群と         歴史的建造物保存地区を視察。           
       e.2月2日、「KAL6707」便で東京へ

●新聞掲載  「仁川日報」および「京仁日報」にインタビュー記事などが掲載。




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横浜市会議員大滝まさおのブログ

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