<< 党戸塚支部会が開催/夏祭り・盆踊りが真っ盛り | main | 町田市長の政治資金パーティー問題で横浜市職員OBからも問い合わせ >>
旧日本軍の中国遺棄化学兵器問題
●地方議員リポート 第八回
<理論誌「公明」8月号>

◆毒ガス被害の悲惨な現状
 さる5月23日、衆院第一議員会館の会議室は、重苦しい沈痛な雰囲気に包まれた。遺棄化学兵器による「チチハル事件」と「敦化事件」の被害者らが公明党に実情を訴え、被害補償等について政府との仲介と現地調査を求めていた。公明党遺棄化学兵器処理問題対策プロジェクト・チームが応対し、斉藤鉄夫座長(衆院議員)は、激励とともに党として一層の取組み強化を約束。26日には、長勢甚遠内閣官房副長官らに直接申し入れを行った。馮佳縁さん(13)は、毒ガスによる被毒の状況を説明した後、「怖くて毎日が不安です。一日も早く無くして」と怯えた表情で訴えた。同チームの副座長として同席していた私は、馮さんらの訴えを聞きながら、衝撃的に報じられた「チチハル事故」を改めて思い起こしていた。
 チチハル事件は、2003年8月日に黒龍江省チチハル市で起きた。団地の駐車場建設現場から、液体の入った五本のドラム缶が発掘、パワーショベルで押しつぶされた缶からは液体が噴き出し周辺の土を黒く染めた。強い刺激臭も一面に立ち込めたが、危険なものとは思わなかった作業員は、そのまま仕事を続行。その結果、ドラム缶本体と中の液体、汚染された土などを媒介に、複数の場所において、次々と四十三人が重軽傷を負い、一人が死亡に至った事故だ。液体は、日本側の調査で旧日本軍が遺棄した毒ガスの一部と判明。もれ出たのは、イペリットとルイサイトの混合液であった。
 来日した馮さんは、中学校の校庭を整地するために、事故現場から運ばれていた汚染土の上で遊び、友だちと共に被毒した少女だ。彼女のほか、ドラム缶の解体作業や無害化処理を行った作業員も被毒。汚染土は学校や道路、複数の一般住宅にも運ばれたため、想像を超える被害の拡大を招くことになった。翌年七月の「敦化事件」も、小川で遊んでいた周君(当時13)と劉君(同9)が、拾った砲弾をいじっている間に漏れ出た毒ガスが体に付着、被毒した事件である。被害者はいずれも、痛みや激しい咳き込み、肺機能・免疫力の低下、体力・集中力の衰えなど、毒ガス中毒特有の障害に日夜苦しんでいる。子どもや一般市民が、突如として自らの生活や夢を奪われ、症状の進行に怯える日々を余儀なくされている事実は、痛ましい限りだ。
 こうした事故は、なぜ相次いで起こるのだろうか。旧日本軍は終戦時の混乱の中、保有していた化学兵器を、中国各地の河川や港湾、農地や山中に遺棄したり放置して撤退した。それらの場所は秘匿され続け資料もない。また化学兵器の危険性に関する情報は、中国の一般市民は知らされていないし、知るすべもない。経済発展を続ける中国はいま、都市部だけではなく農村地域でも建設ラッシュだ。作業員などが突然毒ガス被害を受ける状況は、このままでは防ぐことも出来ず、対策は後追いにならざるを得ない。
 ただ、中国で起きたこうした事故に、わが国政府は手をこまねいてきたわけではない。発見の後、日本政府の責任で発掘・回収を行った事業は、平成12年の黒龍江省北安市で起きた件を初回に、昨年11月の吉林省敦化市で計十回を数える。それらの場所は、江蘇省南京市、黒龍江省孫呉県・同チチハル市・同寧安市・同伊春市、河北省石家荘市、河南省信陽市、広東省広州市など実に広域にわたっている。戦後に遺棄・放置された毒ガスで被害を受けた人は、中国政府の調査では約二千人にも上ると報告されている。
 旧日本軍が製造し、中国に持ち込み配備した毒ガス兵器は、砲弾で約70万発(中国政府は200万発と発表)と推計されている。中国が国連の場で、この問題を初めて取り上げたのは91年。95年にわが国は化学兵器禁止条約を批准し、翌年には中国も批准した。これを受け、2007年までの無害化・廃棄の義務をわが国が負うことになった。「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が、両国政府間で締結されたのは九九年七月。同じ年、毒ガス廃棄事業の実施組織として、総理府(省庁再編で内閣府と改称)に「遺棄化学兵器処理担当室」が設置された。毒ガス処理が、わが国の事業としてスタートするに至った経過だ。
 しかし前述のように、これまでは小規模発掘と回収が実施されてきたほかは、いまだに本格的な処理・廃棄事業には、着手できていないのも事実だ。半世紀以上もたつ古い砲弾などは、変形・腐食等に加え化学剤の漏洩や爆発の危険性が常に伴う。長期間土中に埋設されていた化学兵器を、これほど大量に処理した経験と実績を有する国は、かつてどこにもなかった。そうした実情が、日中両国の協議をより慎重にさせているともいえる。政府予算には06年度において、約177億円が処理事業費として計上(16年度までの総計は約315億円が執行済)された。推定で約40万発の砲弾類が埋められている吉林省のハルバ嶺において、わが国政府は今年度中にも発掘・回収施設と、無害化処理施設の建設に向け、造成工事を開始したいとしている。

◆政党として初めて現地視察 
 旧日本軍による化学兵器問題には、基本的に二つの視点がある。一つは日本国内における問題。もう一つは中国における課題解決だ。
 公明党は、いずれの視点からも極めて重要な政治課題と認識し、これまで真剣かつ積極的な取り組みを行ってきた。
 国会においては、73年の参院予算委において塩出啓典議員(当時)が、戦後に毒ガス兵器を海洋投棄した事実確認と被害者補償を初めて取り上げた。最近でも、93年の衆院予算委で大野由利子議員(当時)が、90年に中国政府がわが国に正式に毒ガス処理を要請していた事実と、遺棄化学兵器問題の存在を初めて国会の場で認めさせるなど、今日の処理事業への道筋をつける、重要な論戦を展開した。
 また公明党は99年5月に、日本の政党としては初めて、大量の毒ガス砲弾が埋まっている吉林省敦化市郊外のハルバ嶺地区を視察。中国政府の関係者らとも意見交換をした。衆院議員の斉藤鉄夫、赤羽一嘉、大野由利子(当時)の各氏と共に、私も地方議員を代表して参加した。ハルバ嶺の毒ガス砲弾とドラム缶は中国東北部に遺棄・放置されていたもので、中国側が危険回避のため集積し埋めたものである。帰国後、調査団は直ちに高村外務大臣や小渕首相(いずれも当時)らを訪ね、中国国内の化学兵器を早期に処理するよう、強く申し入れた。
 私は「前後問題」、とりわけ中国残留孤児問題や遺棄化学兵器問題に、特別の関心を抱き活動してきた。毒ガス問題への直接の関わりは96年に私の足元でおとずれた。神奈川県寒川町にあった旧日本海軍の化学兵器工場で、徴用工として働いていた元工員・奥山辰雄氏との出会いである。設立したばかりの「旧相模海軍工廠毒ガス障害者の会」(山口千三代表)に所属していた奥山氏は、同工廠で毒ガス製造に従事した工員には、戦後60年近く経つのに未だに何の補償もない、と私に訴えた。「被害者は病弱で動けないうえ高齢者ばかり。把握できない元徴用工らを探し出し、皆で国の補償を勝ち取りたい。力を貸してほしい」。奥山さんの真剣な訴えに、激しく心を揺り動かされた。私は、党神奈川県本部内に「毒ガス実態調査委員会」を直ちに設置。障害者の会とタイアップして活動を開始した。一方、大久野島がある党広島県本部は「毒ガス対策プロジェクトチーム」を早くに立ち上げ、現地視察や聞き取り調査等の活動を行っていた。国内の毒ガス対策に迅速に反応した県本部の動きは、「旧日本軍毒ガス弾処理問題に関する協議会」を党本部に設置させるまでに発展。関係する11の道府県本部が協働・連携しながら、視察や調査、サミットの開催、中国の歴史学者を招いてのシンポジゥム等に、全力で取り組んだのである。「改革は地域から」とのスローガンのもと、地方議員中心の党「公明」が船出した、直後のことであった。
 98年と99年には、党神奈川県本部と「毒ガス障害者の会」、および秋田・福島両県本部が共同で、パネルディスカッションを開いた。旧相模海軍工廠の徴用工らは東北地方出身者が多いと知ったからだ。報道各社にも協力を仰ぎ、同工廠で勤務していた人々に名乗り出てほしいと訴えた結果、両県での会合を機に、長期入院を含め六人の所在を確認、その後、すでに死亡していた人を含め11人が判明した。こうした活動を経て、寒川の同工廠での被害者が、国から「認定」を受け、初めて救済対象になったのは九九年九月だった。神奈川県在住者23人が申請し19人が認定、その後も認定者が徐々に増えている。だが被害者とその家族の苦労や、亡くなった人の無念を考えると、その道のりは余りにも長かったといわざるを得ない。

◆早期の完全処理と医療ケアを
 毒ガスの恐怖が、とつぜん市井の人々にも襲いかかる例は、わが国にも多数実在している。井戸水から高濃度の砒素が検出された茨城県神栖町の事件や、工事現場から毒ガス瓶が出た寒川町事故などは、わずか3年前の出来事である。環境省は相次いだこれらの事件を機に、72年の調査以来、31年ぶりに全国規模の再調査を行った。その結果、『毒ガス情報が確実な地域』を、神栖町など四地域で認定。さらに『場所の特定ができない』『情報が不確実』などの地域が、36か所もあることが浮き彫りになった。毒ガス残存の可能性が高いが、正確な実態把握はなお困難だということである。この調査だけで、住民の不安は消えない。関係自治体と国による対策・調査を継続していくべきだ。また、わが党も引き続いてこの問題には挑戦していきたいと決意している。
 平和な時代に突如として襲い来る「毒ガス兵器」の恐怖は、その被害者ならずとも、容易に想像がつく。かつて私は、黒龍江省社会科学院に歩平副院長(当時、現在は中央社会科学院・近代史研究所所長)を訪ね、毒ガス傷害の患部写真や現場映像を拝見したことがある。しばらく言葉も出ないほど衝撃をうけ、慄然とする感覚に襲われた。
 先に述べたチチハル事故等について、日本政府は中国政府を通じて一時金を支払った。しかし、心身ともに深く傷つけられている被害者に、医療支援・生活支援など何らかの人道的支援が求められている。医療ケアは、この分野においてわが国には蓄積された高い技術がある。緊急時に備える意味でも、日中の医療専門家が共同して、医療と看護の体制を早急に確立すべきだろう。また、わが国で毒ガス製造に従事し健康被害のある人は2480余名だが、これらの人々には健康診断や医療費・各種手当て等が支給されている。この措置は、被爆者援護法に準用した援護手当てとして施されてきた。同法については海外に居住する被爆者に対しても、援護の手を差し伸べる動きがある。中国の毒ガス被害者も、その論理の延長で救援できないものか。この問題については、さる5月30日、衆院決算行政監視委員会で斉藤鉄夫議員が政府に質している。政治的・人道的立場から、支援策の早期構築が望まれるところだ。
 不幸な事件・被害を二度と起こさないためにも、根本的解決策は一日も早く遺棄化学兵器の処理を完結させることにある。高度な技術力を必要とし、巨額な費用がかかるだけに、わが国が誠実かつ適切に事業を遂行することは、中国のみならずアジアや国際社会に対しても、信頼回復と関係改善に、大きく貢献するものと確信している。

| ootakimasao | 論文・投稿記事等 | 13:55 | comments(0) | trackbacks(0) |









http://blog.ootaki-masao.com/trackback/408795
横浜市会議員大滝まさおのブログ

大滝まさおBlog

      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

このページの先頭へ