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港ヨコハマに新たなシンボル/大滝正雄
<エコー会会誌『絵好』第47号>

<絵好ずいひつ>  「メリケン波止場」の名で親しまれてきた大さん橋埠頭がより巨大化し、その埠頭に新たなハマのシンボルが、2002年5月のワールドカップ・サッカー大会の直前に誕生します。「大さん橋国際客船ターミナル」がそれです。建物の長さは430m、幅70m、最高高さが15m。建物というより、帯状の丘が、港の中に現出するイメージを抱いてください。
 最初の大さん橋の建設は、1894年。横浜港に作られた最初の建造物でした。100年以上経っても港ヨコハマの象徴であり続けた「メリケン波止場」に、横浜市は敬愛の念を込めて、ちょうど100年後の1994年、公開による国際建築設計競技を決めました。世界中の英知を結集して、100年のちの人々にも愛される客船ターミナルの再整備をめざしたのです。
 横浜が行った国際コンペの特長は、単に建築デザインを競い合うだけではなく、当選者に設計・施工管理を委任することにありました。翌95年2月、コンペの審査会が厳正に行われました。応募登録数は3,200件、作品提出数は660作品で、海外からの応募も半数にのぼりました。わが国で行われた国際コンペ中最大で、ほとんど世界でも例を見ない規模。どれほど国際的にも注目され、関心が高かったかを、この数字が表しています。
 厳しいコンペを最優秀で勝ち取ったのが、若きイギリス人夫妻「アレハンドロ・ザエラ・ポロ&ファッシド・ムサヴィ」両氏の作品でした。
 審査の過程での二つの流れが、「審査講評」で明らかにされています。ひとつは、実現性に重点をおいて解決を図ろうとしたもの、もう一つは新しい可能性を求め、コンセプトを重視したもの。ポロ&ムサヴィ両氏の作品は、言うまでもなく後者の部類に属します。「横浜のコンペは素晴らしい成果を残した」。審査委員だった建築家のレム・コールハース氏は、こう叫んでいます。『ユニーク』と『冒険心』というキーポイントの基準を主張したのは、専門家以外の審査委員だったというのです。
 審査委員長を務めた建築家の芦原義信氏も同様に、「感動的な審査会だった」と述べ、最優秀作品を「国際的に次の時代を先導する建築」と絶賛しています。横浜には、常に新しいものにチャレンジする精神が息づいています。このプロジェクトもスタートから「横浜らしさ」が脈打っていたのです。自身も国際コンペの経験豊富な建築家・磯崎新氏は「(このような工法が)初めて横浜において実現することを理解して支援すれば、決して困難に逢うことはない」と、冒険的建築にあえて挑戦する横浜市の姿勢に、最大級のエールを送ったのでした。
 私はこの国際コンペの結果に、大きな喜びを感じましたが、その後の市議会での議論にも最大の関心を払いました。厳しい意見の多かった中で、船出には多少の困難が伴っても、このプロジェクトは必ず実現するという、楽観的な確信もありました。議会が承認したとおりに進捗すれば、客船ターミナルは、20世紀最後の世界的建造物として称えられるはずでした。ところが、コンペの当選者が決定してから本体工事に着手するまでに、5年近くの年月が経ち、新しい世紀を迎えてしまったのです。
 コンペ後の「実現性の検証」、それが大きな原因でした。基本設計だけで4年以上というのは、公共建築では異例のことです。この間、思わぬ事態も起きました。設計事務所を英国に構えるポロ夫妻と、検証作業を進める日本側チームの意思の疎通に、齟齬が生じていたことが解ったのです。「ポロ夫妻から自発的に設計・管理の仕事を辞退してもらうことは出来ないか」などという、信じられない会話さえ、当局の一部で飛び交っていたのです。
 1998年の1月、超党派による欧州視察の途中で、私は英国のポロ夫妻の事務所FOA(エフ・オー・アーキテクツリミテッド)を訪ねました。やはり思ったとおり、相互の信頼関係が大きく崩れていることを感じ取りました。帰国してから私は、国際コンペを実施し、その作品を完成させると要綱に謳った横浜市の責任を、議会の場でも厳しく問い質しました。高秀市長(当時)から、「大変意義のある事業なので、ぜひ実現させたい」との答弁と、当局から「実現性を確認できた」、との見解が公的に示されたのは、98年の10月のことです。
 この間にも、ポロ夫妻の作品は、世界中の建築専門誌などに紹介され、コンペを実施した横浜も、当然ながら話題の対象となっていました。美術界も同様です。ニューヨークの近代美術館(MoMa)での企画展や、ヴェニス・ビエンナーレにおける特別展示は、その代表的なものです。それだけに一歩間違うと、横浜市は国際的な批判を浴びるところまで来ていたといえます。
 コンペは、デザインに限るべきで、施工の可否や責任と関係ないやり方にしたほうが良かったなどという、クライアント側の「逃げ」や「いい訳」を、私は数多く聞きました。それだけ、当局側にも今まで経験したことのない課題や困難な壁が、幾重にも立ちはだかっていたのです。実現性の検証段階はもとより、基本設計・実施設計へと移る過程で、この建造物自体が生き物のように、「進化」していったことも承知しています。構造的な変化はもとより、建築途中でさえも施工方法や部材の運搬に変更を加え、対処しました。しかし、コンセプトは一貫してゆらぐことはありませんでした。
 建物内部は柱・梁が一本もない大空間です。その天井は「折り紙」で作った折鶴の羽のような鉄の「折板」が、連続して構成され、際立った美しさをみせています。これも進化していく過程で、必然のように生まれたものの一つといいます。
 また、ポロ氏と話していて興味深かったのは、「人と自然」への気配りに徹していることです。開港広場から大さん橋への道を進むと、小高い丘に登っていくように、緩やかにうねったスロープが、自然に人々をデッキに導きます。屋上デッキには芝も植えられ、全体が公園であり憩いの場として作られました。ターミナルはすべてバリアフリー、階段は一切ありません。
 さらにこの建物は、隣の山下公園からの眺望や見通しを妨げない高さに抑え、あくまでも客船を主役に、船を引き立てる景観づくりに配慮されています。こうした他方から観る人への気配りが、自己主張ばかりの従来のコミュニティー施設づくりにかけていた点を、実感させてもくれます。
 大きくても、暖かさややさしさを感じさせる工夫は、他にもあります。スロープやデッキはすべて木材。木材は、イペというブラジル産の硬質な熱帯木材が使用されています。
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 横浜市は1986年に国際熱帯木材機関(ITTO)の本部を誘致しました。事務所はみなとみらいの国際会議センターにあります。木材消費国と生産国との間の調整を行いつつ、熱帯林の保全や経営を行っている国際機関です。
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 ウッドデッキでの感動は、熱帯木材を通して、「地球的規模の環境」を考える機会を、人々に与えてくれるかもしれません。私は、ITTOのフィルホ事務局長と、ポロ夫妻の会合をセットし、意気投合した両氏の会話にも立ち会いました。この建物内に、国際貢献を果たす横浜市の事業や、横浜に事務所をおく国際機関の仕事をPRする場は、後で必ず確保されることでしょう。これも無限の可能性をもつ施設事業のほんの一つの例に過ぎません。
 ターミナルの先端部分には「多目的ホール」も備えられています。抜群の景観を誇るホールで、どんな催事が開かれるのか今から楽しみです。本来のターミナル機能のほかに、施設全体をどう使いこなすかは、ハマっ子の知恵と心意気にかかっているといえるでしょう。
 ポロ&ムサヴィ夫妻の仕事は、2002年の9月から11月まで開催される、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で、再び紹介されることが決まりました。今回は、英国館の全館を使ってポロ夫妻の建築のみを展示。横浜の完成したプロジェクトが大きな話題と衝撃を、鑑賞者に与えることと思われます。
 それにしても、これほど国際的な関心を呼んだ建築物が、横浜という話題提供には事欠かない都市で実現するというのに、どうして関心が薄いのか不思議です。でも、考えてみれば、パリのポンピドー・センターも、シドニーのオペラハウスも同じ運命をたどったのです。
 「メリケン波止場」から百年、これから百年後のハマつ子は、このターミナルにどんな愛称をつけ、どんな使い方をしているのでしょうか。想像するだけで未来への夢が大きく膨らんできます。 (横浜市会議員)


| ootakimasao | 論文・投稿記事等 | 16:59 | comments(0) | trackbacks(0) |









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